Research Abstract |
中国第一歴史档案館所蔵の康熙朝満文しゅ批奏摺所収の,西寧に駐箚したモンゴル人チベット仏教僧シャンナン=ドルジによって記された満洲語の奏摺,合計68件の翻訳を完成された。これに基づき,ダライ=ラマ6世の宗教的特権放棄,サンゲェ=ギャムツォによるラサン=ハン毒殺未遂事件,ラサン=ハンによるサンゲェ=ギャムツォ殺害事件を,側近でもある,シャンナン=ドルジを通じて,いち早く康熙帝が正確な情報を得ていたことを解明する。そして,その成果を,「清朝档案史料からみたサンゲ=ギャムツォ殺害」と題する論文にまとめた。この論文は,平成19年度刊行予定の細谷良夫編『清朝史のあらたなる地平』(山川出版社)に収録されることになっている。 また中国第一歴史档案館所蔵の内閣蒙古堂档のなかから,シャンナン=ドルジの奏摺に関連する内容を持つ,ラサン=ハン・ツェワン=ラプタン・サンゲェ=ギャムツォ・ダライ=ラマ6世,パンチェン=ラマ3世,ジャシーバートルら青海王公の表文を調査し,康熙40年,41年部分の訳文を完成させた。そしてこれら西北辺外の有力者たちの表文が,まず西寧のシャンナン=ドルジのもとに届くと,シャンナン=ドルジはいち早くその内容を奏摺に記し,概ね2週間以内で康熙帝に届け,表文自体は題本と同様のゆっくりとした送達方法で西寧から北京まで約3ヶ月をかけて送達したことを突き止めた。, 康熙朝後半の側近政治の比較座標として,清朝入関前の天聡8年(1634)の満文档冊を精読し,当時の太宗ホンタイジのモンゴル政策・側近政治を明らかにし,後掲のような,学術論文を発表した。そして,当時の太宗ホンタイジが権力を行使するために,爵位制度を整備し,恩賞・処罰として爵位の昇降を積極的に行い,必ずしもホンタイジの権力に服しているわけではない宗室の王公や有力氏族を牽制し,側近集団を形成していったことを明らかにした。
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