2019 Fiscal Year Annual Research Report
Comprehensive research for social complication in the early pastoral nomads and reconstruction of east-west trade routes in Eurasia
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18H00736
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Research Institution | Saitama University |
Principal Investigator |
中村 大介 埼玉大学, 人文社会科学研究科, 准教授 (40403480)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
田村 朋美 独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所, 都城発掘調査部, 主任研究員 (10570129)
正司 哲朗 奈良大学, 社会学部, 准教授 (20423048)
木山 克彦 東海大学, 清水教養教育センター, 講師 (20507248)
向井 佑介 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (50452298)
高浜 秀 独立行政法人国立文化財機構東京国立博物館, 学芸研究部, 客員研究員 (60000353)
笹田 朋孝 愛媛大学, 法文学部, 准教授 (90508764)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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Keywords | モンゴル / 青銅器時代 / 匈奴 / ガラス / 墓制 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は紀元前千年紀に活発化するユーラシアの東西交易網の具体像を復元することを目的としている。2019年度は8月末~9月上旬にモンゴル国中央部のトゥブ県のホスティン・ボラグ遺跡(KBS)において発掘作業を行い、KBS青銅器時代東部墓地の全容を解明した。モンゴルの多くの青銅器時代後期の墓地と同様に、KBS遺跡ではヘレクスルの構築後、その一部を破壊しながら、複数の板石墓が構築されていた。しかし、KBS青銅器時代東部墓地の板石墓は型式的に珍しく、南方のゴビ地域及び内蒙古の陰山山脈に分布していた砂時計形墓(テヴシ類型)の影響を受けたものであることが判明した。2017年度の調査でも砂時計形墓の影響を受けた板石墓が確認されてたが、2019年度の調査では、ウマ或いはウシの歯が主体部から出土し、放射性炭素年代測定を行ったところ、前8世紀初頭であることがわかった。モンゴル高原では青銅器時代が開始される前3000年紀初頭以降、西からの文化的影響が何度かみられるが、本研究によって、匈奴出現以前に南北の交流もあったことが判明したといえる。南北交流の開始は匈奴形成の前史として重要な意味をもつ。 一方、本研究は匈奴墓から出土するガラス製品に対する産地推定も行っており、本年度はモンゴル国立博物館でザミーン・ウトゥグ遺跡出土のガラス小玉の分析を行った。この遺跡出土のガラス小玉は数百点あるが、ほぼ西アジアから中央アジアで生産された植物灰ガラス製であることが判明した。他の匈奴墓のガラス小玉は地中海東部で生産されたナトロンガラス製が主体であることから、ローマからシルクロード各地のガラスが交易によってモンゴル高原に持ち込まれたといえる。さらに、墓地ごとに差異も存在し、特定産地の製品が集中する場合もあることから、単于以下の各地の王、小王がそれぞれ西方との交易ネットワークを持っていた可能性が浮かび上がってきた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は3つのサブテーマ:①青銅製・鉄製武器の変遷の検討、②金属製飾板の型式と製作技術の検討、③ガラス製品の理化学的分析を通じて、紀元前千年紀に活発化するユーラシアの東西交易網の具体像を復元することを目的としている。 現在、①に関しては集成が完了し、青銅短剣について、前三千年紀初頭に有茎式短剣として西方からもたらされ、二千年紀中葉に柄と剣身が一体となった有柄式短剣が成立することがわかった。しかし、ヘレクスルに付随する鹿石には青銅短剣が描かれるものの、前千年期には青銅短剣の出土例は極端に少なくなり、内蒙古長城地帯とは大きく異なる様相をみせる。西北部のチャンドマニ文化では多数の青銅短剣が出土しているので、この時期の西方からの影響はアルタイ山脈を南下して、ゴビ砂漠以南に流れていったといえる。 ②に関しては、前千年紀後葉の匈奴成立前後にあたるが、この時期の飾板は現在のトゥヴァを中心としたサヤン・アルタイ地域からと共通したものがモンゴル高原中央部にもたらされることがわかった。現状では製作技法にも地域差は見いだせない。従って、匈奴成立頃に西方からの交流が復活したことが明らかになったといえる。 ③に関しては、2019年度の研究実績の概要でも述べたように、継続的に蛍光X線分析を進めている。墓地ごとに異なる産地のガラス小玉が集中することから各地の王及び副王が独自の交易網を持っていた可能性が判明したが、これには遊牧民の統治構造に関係しているといえる。具体的には、モンゴル高原各地にいた遊牧民のまとまりは、当時強勢を誇った部族に恭順しつつも、独自の活動を継続させていたことが推定される。 以上のように、本研究によってモンゴル高原における交流網の変遷と匈奴成立前後における展開について明らかにすることができた。しかし、コロナ禍のため、外国に行けなくなり、周辺地域との比較研究については滞っている。
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Strategy for Future Research Activity |
2019年度末からコロナ禍のため、モンゴルを始めたとした研究対象とする国に渡航できていない。そのため、資料調査を通じての詳細な比較研究ができない状況になっている。また、2020年度もコロナ禍のため、モンゴルでの発掘調査も行えない見込みである。 幸い、モンゴル科学アカデミー考古学研究所との共同研究は盤石であるため、分析に必要な資料は公式の方法で送付してもらえる。2020年度以降は、そのような方策で、分析データを蓄積し、これまでの研究の補完を行っていきたい。また、積極的に本研究の論文化や発表を進め、今後の議論の基礎とする予定である。
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Research Products
(11 results)