2021 Fiscal Year Annual Research Report
Various aspects of Western music reception in Japan from the Meiji period to the early Showa period: Under the viewpoints of performance venues, musicians, repertories, genres and media
Project/Area Number |
18K00141
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Research Institution | Tokyo College of Music |
Principal Investigator |
武石 みどり 東京音楽大学, 音楽学部, 教授 (70192630)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | 洋楽受容 / 映画館 / 交響楽団 |
Outline of Annual Research Achievements |
2021年度には以下のように研究を進めた。 ①これまでの研究成果をまとめ、論文「大正~昭和初年代の映画館の音楽と楽士:管弦楽普及の過程」として発表した。②昨年度からの継続調査として、昭和初年代に交響楽団が成立するまでに存在する多様な楽団の楽員・編成・活動歴に関する資料を収集した。
研究期間全体を通して得られた成果は以下のとおりである。 洋楽合奏はすでに明治期より軍楽隊、宮内省楽部、東京音楽学校学生により実践されていた。大正期にはそれに加えて東洋音楽学校、一般大学のオーケストラ、北太平洋航路の船の楽団や三越少年音楽隊・浅草オペラ・宝塚少女歌劇、さらには映画館における伴奏楽と休憩奏楽が始まり、一般市民が洋楽合奏を聴ける機会が増えた。そのような中で映画館の音楽は1920年頃から約10年にわたって普及し、同じ曲を1日に数回、1週間にわたって演奏する点で、洋楽普及に大きな役割を果たした。映画館の楽士の主な出自は軍楽隊と「船の楽士」である。前者は松竹系・日活系映画館の楽長・楽士として活動し、特に浅草帝国館では聴衆の好みに合わせたレパートリーを繰り返して演奏し、「洋楽」のイメージ形成に貢献した。1927年頃からは松竹・日活製作の邦画に合わせた音楽を求めて、洋楽曲の演奏から和洋合奏や自由な編曲・作曲へと移行した。これに対して後者は、太平洋航路で楽士を務めアメリカの音楽や映画に直接触れた経験から、気の合う仲間でグループの構成を柔軟に替えながら洋楽演奏を続け、交響楽団への志向を見せるに至った。特に1925年にシネマパレスで活動したメンバーは、のちに山田耕筰とともに日本交響楽協会や新交響楽団の一員となり、日本の交響楽団の草創期を支える役割を果たした。 本研究により確認できた①大正期に各種楽団で活動した人物の履歴、②交響楽団創設に至るまでの各楽団の関係と演奏曲目の変化、は今後の研究の基礎資料となろう。
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