2018 Fiscal Year Research-status Report
Tracing the footsteps of the Jewish refugees who sojourned in wartime Japan and Shanghai: a transboundary and multilateral research
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18KK0031
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Research Institution | Tokyo University of Science |
Principal Investigator |
菅野 賢治 東京理科大学, 理工学部教養, 教授 (70262061)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
ZINBERG YAKOV 国士舘大学, 21世紀アジア学部, 教授 (50348885)
佐藤 憲一 東京理科大学, 理工学部教養, 准教授 (80548355)
三添 篤郎 流通経済大学, 経済学部, 准教授 (40734182)
西村 木綿 (西村木綿) 金沢大学, 人間社会研究域, 客員研究員 (30761035)
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Project Period (FY) |
2018-10-09 – 2023-03-31
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Keywords | ユダヤ / 難民 / 杉原千畝 / 敦賀 / 神戸 / 上海 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究課題の初年度、2018年度は、申請時に立てた研究計画に即し、(1)1940年、リトアニア日本領事館で発給された日本通過ヴィザの受給者リストの分析、(2)戦時期、日本と上海に到来したユダヤ難民に関する資料目録の作成、(3)1940~41年、神戸のユダヤ難民救援組織Jew Com Kobeに関する基礎的研究に着手した。 (1)については、研究協力者、北出明がこれまで独自に行ってきたリストの照合作業を引き継ぎ、そこに①アメリカ・ユダヤ共同配給委員会(JDC)がホームページ上で公開している資料、②戦時期、上海のポーランド大使館が作成したポーランド人居留者名簿、③戦時期、上海提籃橋地区の日本官憲が作成した居留者名簿など、入手済みのリストを照合させた上で、今回、アメリカ、ニューヨークでの資料収集をつうじて得られた、④JDCの非公開資料、⑤イェシヴァー大学所蔵の未公開資料、⑤1940-41年、日本からアメリカに向けて出航した客船の乗船者名簿(国立国会図書館マイクロフィルム資料)を突き合せた。その結果、1940-41年、日本に到来したユダヤ難民の総数として4,600名前後という数字が浮かび上がり、うち約1,700名が「杉原ヴィザ」保持者とその同伴者として確認された。 (2)については、上記リストの欄外に備考欄を設け、元ユダヤ難民ないしその子孫が、戦後、書き残した手記、回想録、伝記などの文献情報を書き込む作業から始めた。 (3)については、1940-41年当時、Jew Com Kobeの一員として活動した人物のビデオ証言を解析するとともに、ワシントンDCのホロコースト記念館が所蔵する神戸関連資料の精査を行った。 このほか、今後の成果報告のための映像資料制作に向けて、ニューヨーク、兵庫県敦賀、兵庫県神戸での撮影作業を並行して行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
助成金の交付が年度の半ばからであったため、初年度には無理な研究計画を立てず、既存の資料の整理・統合を主にし、そこにアメリカ(ニューヨーク、ワシントンDC)での資料調査の成果を盛り込む程度に留めざるを得なかったが、研究課題の進捗状況はおおむね計画通りである。 研究分担者、ヤコフ・ジンベルグは、はじめ、モスクワ・ホロコースト教育資料センター、イリヤ・アルトマン教授を招いての国際ワークショップを計画したが、アルトマン教授の都合がつかなかったため、リトアニアのジャーナリスト、ルータ・ヴァガナイテ氏と、サイモン・ヴィーゼンタル・センター、イスラエル支局長、エフライム・ズーロフ氏を招聘し、東京大学、沼野允義教授の協力のもと、日英二語使用の公開研究会を開催した。それにより、1939-40年、ポーランド・ユダヤ難民たちの最初の避難地となったリトアニアの状況について、新たに充実した知見が得られた。 戦時期の日本と上海を経由したイディッシュ語の文筆家たちが残した日記や手記について、海外の共同研究者アーノルド・ゼイブルと、研究分担者、西村木綿が調査を行った結果、少なくとも4点の手記・日記の所在が突き止められ、うち2点は、デジタル・アーカイブとして入手できたが、残る2点については、いまだ所在が不明である。入手できた2点について、内容を概観したところ、避難先となった日本と上海について、かなり詳細にして興味深い記述が多々見られることが確認された。 その他、日本と上海を経験したあと、南北アメリカ、オセアニアに移住した元難民たちの移住先における言語的統合の問題、彼ら独自の戦争観などについては、各研究分担者が文献調査に着手した段階である。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究課題に着手して、わずか半年に過ぎないが、次年度以降に向けて克服すべき課題は、すでにいくつか浮上している。 (1)本研究課題を進める上で学術的に依拠することのできる先行研究が、国内、国外を問わず、当初、予想し、期待していたよりもはるかに僅少であり、世界各地で、一次資料のゼロからの発掘が不可欠であること。とくに1940年、リトアニアの日本領事館で発給された日本通過ヴィザについては、間接的な証言と、長い時間を経たあとの回想や推量に大きく依拠したエピソードの次元に留まっている感が否めず、史的研究の立ち遅れが痛感される。これに対しては、徹底した「一次資料主義」をもって対応していく以外にないと思われる。 (2)同様に、戦時期のユダヤ難民をめぐる従来の書き物においては、ユダヤ教から遠ざかった世俗ユダヤ人に関する情報は比較的豊富でも、東欧ユダヤ教の伝統を固守しようとする正統派ユダヤ教徒たちの集団についての記述がきわめて少ない。この点を常に意識しながら、ヘブライ語、イディッシュ語という言語の障壁を乗り越えていくる必要がある。 (3)アメリカ・ユダヤ共同配給委員会(JDC)のニューヨーク本部に保存されている関係文書が、今年度行った現地調査の結果、はるかに膨大なものであることが判明した。研究遂行の上で、これは好ましい意外性であったが、研究代表者・分担者による短期の出張では、とても覆いつくせない文献調査となるため、ニューヨーク在住の研究協力者を新たに加える必要がある。 (4)ユダヤ難民として日本と上海に滞在し、詳細な日記をイディッシュ語で書き残したとされる、ある文筆家の重要な遺稿が、海外の共同研究者への調査協力依頼も空しく、いまだ所在不明のままであること。必要に応じて、今後、海外の共同研究体制を、若干、見直す必要に迫られるかもしれない。
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Causes of Carryover |
(1)研究分担者、佐藤憲一が、初年度の実施期間が半年に限られていたこともあり、配分された物品費で購入することとなっていた関連書籍(アメリカに移住した元ユダヤ難民たちの足跡を辿るための洋書)の選定、発注が間に合わず、次年度に持ち越すこととした。次年度分の配分額と合わせて、この作業を行う計画である。 (2)当該年度の末に、研究代表者による山口県立図書館での資料調査(戦時期の『関門日日新聞』の記事検索)を計画していたが、実施時期が会計年度の〆と折り合わず、次年度に持ち越すこととした(2019年4月上旬に実施済み)。
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Remarks |
別に受け入れ中の科研費、基盤研究(C)(一般)課題番号17K02041(「ユダヤ難民と日本(1939-1946年):オーストラリアからの証言」、平成29~32年度)と共通
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Research Products
(3 results)