2010 Fiscal Year Annual Research Report
〈暴力〉の社会思想史的研究――ゲヴァルト/ヴァイオレンスの二分法を超えて
Project/Area Number |
19520077
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
上野 成利 神戸大学, 国際文化学研究科, 教授 (10252511)
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Keywords | 暴力 / ミメーシス / 批判理論 / 社会哲学 |
Research Abstract |
本研究の目的は、ゲヴァルト(主体の支配・統御に関わる暴力)とヴァイオレンス(主体の統御を超えてほとばしる暴力)という〈暴力〉の二つの側面に着目し、この両者がどのように絡み合っているのかを検討することである。最終年度にあたる今年度は、暴力論の古典としてM・ホルクハイマーとTh・W・アドルノの議論、および現代の社会哲学としてCh・テイラーの議論を検討の俎上に載せた。 ホルクハイマー/アドルノの「啓蒙の弁証法」(1994年)に認められるのは、主体のミメーシス的欲動が異他なるものを外部へ排除し(ヴァイオレンス)、これによって共同内部の支配-被支配関係(ゲヴァルト)が成立する、という理路である。しかしこの場合、人間的営為がそもそも暴力に起因するという構図に回収され、たとえば近代に固有の暴力を分節化することが困難になりかねない。一方、テイラーの『近代想像された社会の系譜』(2004年)によれば、世俗化した近代社会にはなおも宗教的な要素が存在しており、これが共同体の凝集を可能にするとともに、この凝集を脅かす者へのスケープゴートの暴力を引き起こすという。この議論の背景にはR・ジラールの理論があるが、これを近代の「人民主権」との関連で論じた点にテイラーの議論の意義があるといえる。 たとえば近代の「主権」概念の根底に「友/敵」の対立を措定するC・シュミットの議論には、それを駆動させる主体の心的機制の分析が欠けていた。一方、心的機制に目を向けるホルクハイマーらの議論では、近代固有の暴力が後景に退いてしまう。それにたいしてテイラーの議論には、両者の議論を架橋するような視座が認められる。そこから示唆されるのは、近代社会において「宗教」の占める重要性である。シュミットの議論も「神学」との関連で再検討することが必要となるだろう。この点を残された課題としつつ、4年間にわたる本研究の成果についてはひとまず論文のかたちでまとめたい。
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Research Products
(2 results)