2020 Fiscal Year Research-status Report
フィレンツェの中世後期建築におけるゴシック様式と伝統様式の混淆に関する研究
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19K04828
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Research Institution | Aichi Sangyo University |
Principal Investigator |
石川 清 愛知産業大学, 造形学部, 名誉教授(移行) (40193271)
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Project Period (FY) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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Keywords | ゴシック建築 / ルネサンス / 様式史 / フィレンツェ / 中世建築 |
Outline of Annual Research Achievements |
中世後期にはイタリアもゴシック様式を受容したが、それは他のヨーロッパ諸国とは異なって、中世フランス・モダニズムを受け入れたわけではなく、それらを折衷主義的に導入したと一般的に理解される。ゴシック建築史の碩学パウル・フランクルは『ゴシック建築大成』の中で、イタリアへの拡散」に関していままでの通説を補強・発展させる論説を展開したが、私はイタリアにおけるゴシック受容の手法を単に"eclecticism"という用語で総括するのは些か乱暴であり、むしろ意図的混淆syncretismと呼ばれるべきであると考えた。本研究ではフィレンツェにおける後期ゴシック建築を詳細に調査することで、フィレンツェにおけるゴシックの受容は、ゴシック様式と伝統様式との意図的混淆であることを明確にすることが論点である。いままでの研究においては、ベイ・システムや垂直部材の線条性という、中世フランス・モダニズムの建築言語とその構成法は、中世イタリア建築の敬虔な歴史的古典主義の中では受け入れられず、あくまでも折衷的なアプローチによって部分的に合目的に受け入れられたと考えられている。しかし、中世イタリアでは為政者の統一的趣向によらずに、他の都市国家にはない建築が要求されたのである。中世フランス・モダニズムの純粋主義と方法的には対極にあった。フィレンツェのゴシック受容において少なくとも3つの位相を確認することができた。フランス風を強調するフランス人教皇・為政者のコードとして、あるいは表面的な世俗的コードとして、その反対にトーディのサン・フォルトゥナート聖堂やフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂などのドメニコ会聖堂においては深遠な精神的モードとして受容されたと考えるべきであることを明確にした。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
令和2(2020)年度は、私と同種のアプローチをとる数少ない研究であるChiara Piccini, Capitelli a Foglie nella Firenze del Due e Trecento 《Fogliame Rustico e Barabro》, Firenze, 2000や、Simoncini, Giorgio, a cura di, La Tadizione medievale nell’architettura italiana dal XV al XVIII secolo, Firenze, 1992、並びにBruzelius, Caroline, A Rose by Any Other Name: The 'Not Gothic Enough’ Architecture of Italy, in Reading Gothic Architecture, edited by Matthew M. Reeve, 2008, pp.93-110をじっくりと研究しつつ、積極的連携を図ってきた。残念ながらイタリアにおける実地調査が予定したようにはできなかったが、研究がやや遅れている理由であるが、フィレンツェ大学留学時から蓄積してきた実地調査資料との整合性を取りつつ研究の集大成を図っていく所存である。
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Strategy for Future Research Activity |
私がゴシック様式と混淆された伝統様式と定義しているものは、単に古典主義建築という意味ではなく、フィレンツェ固有のロマネスク様式から脈々と続く、いわばトスカーナ地方独自の在来様式のことであり、むしろルネサンス様式の中にも受け継がれているもののことである。今後の研究において、特にその代表的なものとして、八角柱と"foglia d'acqua"と呼ばれる水葉柱頭に代表される簡素なフィレンツェの装飾様式を詳細に分析していく。フィレンツェの建設に携わった職人たちは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の造営という大事業を組織的にこなすなかで、自らの技術を高めていった。ミケロッツォは従来の"capomaestro"に要求されていた建設工事の幅広い監理を避けて、簡単な指示だけで自分の意のままに動かすことのできる建設工房を組織していたことと、八角柱と"foglia d'acqua"と呼ばれる水葉柱頭等、ある程度簡素化、定型化した建築部材や装飾を用いて、システマティックに建築を構成している。ベイ・システムや垂直部材の線条性という、中世フランス・モダニズムの建築言語とその構成法は、中世イタリア建築の敬虔な歴史的古典主義の中では受け入れられず、あくまでも折衷的なアプローチによって部分的に合目的に受け入れられた。 しかし、中世イタリアでは為政者の統一的趣向によらずに、他の都市国家にはない建築が要求されたのである。中世フランスの純粋主義と方法的には対極にあると考える。今後はその方法的相違のメカニズムを解明したい。
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Causes of Carryover |
コロナ禍で実地調査ができなかったことが次年度使用額が増したことの原因であるが、特に筑波大学など、日本国内にある貴重な史料を活用して、そのマイナスを補完して行く計画であるため、国内旅費に充当する形で使用計画を組み立てる所存である。
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