Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
檀上 寛 京都女子大学, 文学部, 教授 (60163721)
岸本 美緒 お茶の水女子大学, 人間文化創成科学研究科, 教授 (80126135)
松井 洋子 東京大学, 史料編さん所, 教授 (00181686)
黒田 景子 鹿児島大学, 法文学部, 教授 (20253916)
柳澤 明 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (50220182)
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Research Abstract |
中国清代の対外貿易の政策と制度について理解を深めるために,資料調査と論文の執筆をおこなった。17世紀後半から18世紀にかけて清と日本とは,正式の国交をもたない状況のもと,両国が双方の利害に配慮しながら関係の枠組みを構築していった。長崎における貿易,情報の往来,信牌制度の導入と受容,商人や通事など媒介者の役割,出島や長崎唐人屋敷の管理体制について一次的な資料にもとづいて,両国の当局者が得ていた相手についてどのような情報を得ていたか,それにもとづいて如何なる政策が選択されたかという問題について考察を加えた。 さらに,Fairbank,Mancall,濱下武志,坂野正高らの朝貢体制および朝貢貿易についての所説を批判的に検討するとともに,互市の制度と朝貢体制との関係について考察を加えた。1815年頃に編纂された『(嘉慶)大清会典』のなかに「互市諸国」という概念が導入され,その一覧が記載されたことの意義を明らかにした。「日本国」が一覧の冒頭におかれ,「港口国(ハティエン)」以下東南アジアの港市政体がそれに続き,さらに西洋諸国が列挙されている。朝貢国と対比されるこれらの諸国は,中国と政治的な関係をもたず,商業の径路において結びついていた。これによって儀礼にかかわる経費を必要とせず,また儀礼や「国体」に起因する政治上の紛糾を免れる仕組みを「互市」の制度が提供した。また,清の「互市」が参入の自由を保障したことによって,華人移住者や来航者をひきつけた東南アジアの港市が対中国貿易を自由におこなって発展の足場をえたことを主張した。諸国の東インド会社が貿易独占を意図していたにもかかわらず,インド洋と南シナ海,中国沿岸を結ぶアジア域内貿易は,私貿易商人に活動の場を提供した。いわゆるジャンク船による華人の商業活動や移住も自由であった。こうした商業活動の実態と,政治外交上の関係との双方を視野に収めることによって,「互市」を軸とする南シナ海・東シナ海をめぐる国際関係の特質とその展開過程を理解することが可能となった。
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