2010 Fiscal Year Annual Research Report
エミリ・ディキンスンと東洋-新島襄とウィリアム・クラークを通じて-
Project/Area Number |
20520265
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Research Institution | Kobe College |
Principal Investigator |
鵜野 ひろ子 神戸女学院大学, 文学部, 教授 (30145718)
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Keywords | 米文学 / 日米文化交流史 / 影響関係 / エミリ・ディキンスン / 19世紀米国の雑誌・新聞記事 |
Research Abstract |
収集した19世紀の地理の教科書や19世紀前半の東洋に関する新聞・雑誌記事を整理した。当初予定していたウィリアム・クラークや新島裏が関係しているはずの1860、1870年代の記事の収集は未完了のままなので、今年度は1840年代および50年代に絞った。。 その結果、ディキンスンは10代の頃から学校で日本について学んでいたこと、20代になると、特にニューイングランド地方では貿易や捕鯨の関係者が日本の開国を切に望んでいたことがわかった。熱心なホイッグ党員であった彼女の父親は1840年代にはマサチューセッツ州議会議員を務め、親戚にボストンの貿易業者がいたこともあり、1850年代には日本の開国を奨励した大統領候補ダニエル・ウェブターを応援していた。丁度ペリーが日本に遠征していた期間、彼はマサチューセッツ州選出の国会議員を務めていた故、ディキンスンは当時の政治にも通じていて、新聞だけでなく、父親からも日本の開国を迫るためのペリーの日本遠征について精通していたことがわかった。日本は長年の鎖国の間に、ユニークな文化を育んできたこと、鎖国とはいえ、長崎でオランダと中国との貿易は続けており、そこから必要と思われる情報や物資は取り入れていたことを彼女は知っていた。友人への手紙などから、アメリカの政治を含む様々なことに不満を抱いていたと思われる彼女は、1850年代半ばから徐々に隠遁生活に入っていったのであるが、わずかに選んだ友人との文通による交流は生涯続けられた。この彼女の隠遁は日本の鎖国に似ていると言える。彼女の隠遁という決断に、日本の鎖国についての知識が影響していたと思われる詩も書かれていた。このことを2010年8月にオックスフォードで開催されたディキンスン国際会議で口頭発表し、また2011年3月に出版された論文集『エミリ・ディキンスンの詩の世界』(国文社)で論文として発表した。
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