2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21320004
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
高橋 哲哉 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (60171500)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
山脇 直司 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (30158323)
黒住 眞 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (00153411)
北川 東子 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (40177829)
野矢 茂樹 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (50198636)
山本 芳久 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 准教授 (50375599)
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Keywords | 犠牲 / 宗教 / 国家 / 内村鑑三 / 戦死 / 自己犠牲 / デリダ / エコノミー |
Research Abstract |
今年度の研究計画に沿って、宗教の犠牲の論理が国家など世俗の犠牲の論理からどれだけ区別されるか、また特にデリダの『死を与える』等における「犠牲の論理の脱構築」について検討した。国家の犠牲の論理との区別については、内村鑑三の日露戦争時の「非戦主義者の戦死」という特異なテクスト、また日中戦争や太平洋戦争中の仏教者のテクストを読解し、世界平和のため又は国家のためという世俗的目的のための「尊い犠牲」として戦死を捉え、それを宗教的な自己犠牲ないし無我の境地に重ねることから両者の融合が生じること、死による喪失を何かのためのものとして有用なものとし、喪失を喪失として維持できずに有意義性によって埋め合わせようとする「犠牲」の観念に依拠する限り、宗教と国家の融合を止めるのは難しいことが確認された。デリダはイサクの犠牲をキルケゴールにほぼ忠実に解釈するが、アブラハムによるイサクの放棄が倫理的なものの目的論的停止であろうとしながら、最後に神の「赦し」によってイサクが回復されることのエコノミーを問題にする。つまりデリダは最終局面でキルケゴールをも離れ、放棄したものが同等またはそれ以上の見返りを受けるというエコノミーに支配された限りでの「犠牲」の観念そのものを問題視する点で、いっそうラディカルである。 このデリダ的視点から見たとき、ベンヤミンの「犠牲を受け入れる」「神的暴力」をどのように評価すべきかは難問であり今後さらに検討を要する。
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Research Products
(7 results)