2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21320004
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
高橋 哲哉 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (60171500)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
山脇 直司 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (30158323)
黒住 真 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (00153411)
北川 東子 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (40177829)
野矢 茂樹 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 教授 (50198636)
山本 芳久 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 准教授 (50375599)
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Keywords | 宗教 / 犠牲 / 贖罪 / ニーチェ / 負い目 / デリダ / 根源的キリスト教 / 道徳 |
Research Abstract |
最終年度である平成23年度は、前年度までに得られた成果を踏まえて、「犠牲」の論理をもたない宗教的信仰が成り立つかどうかについての検討に着手した。ニーチェの『反キリスト者』における「十字架の神学」批判を検討した結果、そこには、本来「犠牲」の論理とは無縁で「生」そのものの根源的肯定を意味していたナザレのイエスの信仰が、イエスの死後、弟子やパウロによって、十字架上の刑死を「犠牲死」として、人類の原罪=神への「負い目」=「負債」を帳消しにする「贖い」=「償い」と解する「キリスト教」へと変質した、という批判が見られることが明らかになった。ニーチェが『道徳の系譜』で指摘した、罪と罰を中心とする道徳観念は「負い目」とその帳消しという債権・債務の経済論に支配されているという事態は、本研究の視点からは、罪を帳消しにするためには一定の「犠牲」が必要で、その究極は「血塗られた死」による支払いである、という「犠牲」の論理に読み替えることができる。この理解を手がかりとすれば、ニーチェがナザレのイエスに見た「根源的キリスト教」は、罪からの解放のために、いかなる支払い=賠償=償い=贖いをも要求しない、善悪の彼岸の生の根源的肯定としての「犠牲の論理なき宗教」と考えられる、という結論を得た。この観点から本研究は、日本の神学界で論争を呼んでいる青野太潮氏の「十字架の神学」を検討し、それはパウロに依拠するなど一見ニーチェと対立するかに見えるが、実際には「犠牲の論理なきキリスト教」の地平を描き出す重要な業績であることを見出した。これと対照的に、大きな影響を与えてきた内村鑑三の「十字架」理解について、罪の賠償として厳罰(死刑)を要求する交換経済の論理を核としており、典型的な犠牲の論理と解されるという見地から批判的に検証した。
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Research Products
(14 results)