2021 Fiscal Year Research-status Report
ロシア都市文学の聖地コロムナとペテルブルク神話の生成・変容
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21K00447
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
近藤 昌夫 関西大学, 外国語学部, 教授 (80195908)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | ペテルブルク神話 / コロムナ / プーシキン / ゴシック |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、幻想都市の修辞として蓄積されてきた「ペテルブルク神話」が再生神話の要件を満たしていることを、コロムナ地区を舞台にした文学テクストで例証することにある。令和3年度は、実施計画に従ってプーシキンの「ペテルブルク物語」三作のひとつ『スペードの女王』(1833)を取りあげ、関西大学東西学術研究所研究例会に於いて、その神話的特徴について報告した(「『スペードの女王』のゴシック」)。以下に概要を述べる。 『スペードの女王』のゴシック的特徴は指摘されて久しく、従来英国ゴシックロマンとの対照で様々な解釈が示されてきた。本報告では、ペテルブルク神話『青銅の騎士』(1833)が刷新するペテルブルクの秩序─垂直(西欧を志向する権力)と水平(簒奪される民衆)の闘争がもたらす終わりなき分断─に基づき、物語をゴシック建築の概念や様式の特徴と対照した。その結果、繰り返されてきた、勝札をめぐる以下の三つの問題─(1)秘密の勝札の番号「3-7-A(エース)」は何の表象か?(2)ゲルマンは(老婆の亡霊でなければ)どこからこの番号を知り得たのか?(3)なぜゲルマンは、Aの勝利を知りながら最後にクィーンを引いたのか?─にたいしてそれぞれ次のような解釈が得られた。(1)パリのノートル・ダム大聖堂。(2)「謎のような形態」を伴うゴシック精神(ヴォーリンガー『ゴシック美術形式論』)から。(3)簒奪者のペテルブルクの悲劇的宿命を暗示するため。 本報告の意義は作品解釈の方法に建築様式との対照を導入したことにある。また勝札の解釈に加え、負札クィーンの解釈を示したことも特筆すべき点である。クィーンは、ユゴーが「老女王」と呼んだパリの大聖堂と老伯爵夫人のダブル・イメージを担う「平面」であり、『スペードの女王』は、神話が言明するペテルブルクの秩序を背景にしてニコライ一世を含む簒奪者たちの破滅を仄めかした小説なのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
令和2年度末に関西大学東西学術研究所例会にて行った報告(「プーシキン『コロムナの家』の「反転」」)において、『コロムナの小さな家』(1830)に指摘できる、物語及び詩形式(八行詩)の「反転」が、当時プーシキンを批判していた文学の保守層と政権に対する反論であると述べた。この作品は、詩作の現場を公開しながら、読者をコロムナのポクロフ広場のグリャーニェの「反転」に誘導し、8年前の笑話(降誕祭聖週間に料理女に扮した近衛士官が、ピョートル大帝を連想させる髭のせいで馬脚を露わし、遁走する。)をロシア民衆の昔話の構図─「権力と搾取される民衆の反目」─に収めると、八行詩の独創的「反転」によって広場の「ロシア魂」(ベヌア)を「ボルジノの秋」の「現在」に繋げ、露土戦争戦勝詩の執筆を迫っていたニコライ一世と保守的ジャーナリズムに一矢を報いた、プーシキンの戦勝詩なのである。 この分析結果によってペテルブルク神話『青銅の騎士』が刷新するロシア近代の秩序─垂直と水平の闘争がもたらす終わりなき「分断」─が裏付けられ、『スペードの女王』をペテルブルク神話の文脈に位置づけることが可能になった。なるほど『スペードの女王』は、民衆の側からロシア近代の秩序を描いた『コロムナの小さな家』や『青銅の騎士』とは異なり、貴族を主人公としているが、「垂直」の半世界をゴシックの視点から批判的に描いた小説であり、プーシキンが三部作「ペテルブルク物語」でロシア近代の秩序を、一貫して民衆の視点から描いていたことが明らかになった。これにより、『コロムナの小さな家』『青銅の騎士』『スペードの女王』が、単にペテルブルクを舞台にした三つの作品なのではなく、ペテルブルク神話三部作と呼ぶに相応しい連作であることが論証された。 このように、研究に継続性が担保されていることから、区分「(2)おおむね順調に進展している」を選択した。
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Strategy for Future Research Activity |
コロムナを舞台にしたプーシキンの「ペテルブルク物語」の分析から、ペテルブルク神話の生成が文学テクストで例証・検証された。今後はゴーゴリの「ペテルブルク小説」に、神話が言明するロシア近代の秩序、すなわち為政者と簒奪される民衆の社会的「分断」の影響を探り、神話の浸透あるいは普遍性について考察する。ウクライナの小村ソロチンツィから憧憬の対象だった帝都ペテルブルクに上京し、ほどなくして町に幻滅するエトランジェのゴーゴリは、コロムナに暮らす小役人の精神の分断(『狂人日記』)、身体の分断(『鼻』)を次々と描いているが、『ディカーニカ近郊夜話』や『ミルゴロド』のいわゆる「ウクライナ小説」で土地と人間の濃密な関係を書いたゴーゴリの、それら「ペテルブルク小説」の「分断」は、土地から切り離された人工都市の住人に内在化した秩序の表出ではないだろうか?─この仮説を選集『アラベスキ』に収められた作品で検証していく。
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Research Products
(1 results)