2022 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
21K13238
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Research Institution | International Research Center for Japanese Studies |
Principal Investigator |
西田 彰一 国際日本文化研究センター, 研究部, プロジェクト研究員 (00816275)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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Keywords | 政治教育協会 / 水野錬太郎 / 内務省 / 官僚 / 政治教育 / 国体論 / 神道 / 政官関係 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の概要は、戦前日本の官僚、政治家であり、内務行政のスペシャリストとして知られた水野錬太郎を対象に、その政治思想を分析し、戦前の日本の内務行政の発展に水野の政治思想がいかに反映されたのか、さらに当時の政官関係や植民地への影響の拡がりを含めて明らかにすることである。本年度は、主に水野と同年代の学者や官僚たちの政治思想と行動について注目した。まず、水野と同年代の学者で、共に神社制度調査会の委員を務めていた筧克彦の思想を分析し、勉誠出版から刊行された『神道の近代――アクチュアリティを問う』に、筧が「古神道」「神ながらの道」という独自の神道思想を唱えることで、日常生活と彼の専門分野である行政法学を一貫して考えようとしていた点に着目し、「日常生活から国家の秩序へ――筧克彦の「古神道」「神ながらの道」」を執筆した。さらに「筧克彦の国体論の批判的分析――大正期国体論の解明にむけて」を東アジア日本研究者協議会第6回国際大会で報告した(査読付)。また、水野と同年代の内務官僚・政治家で、お互い若い頃から知遇を深めていた床次竹二郎にも注目し、彼が内務官僚時代に抱いていた神社及び宗教行政の構想について分析した「内務官僚時代の床次竹二郎の神社・宗教行政構想」(査読付)を、日本宗教学会第81回学術大会で報告した。 他に研究成果として、拙著『躍動する国体――筧克彦の思想と活動』(ミネルヴァ書房、2020年)が、公益財団法人中村元東方研究所主催の第8回中村元東方学術奨励賞を受賞した。また、所属研究機関において日本におけるキリスト教信仰の展開についての研究報告や、戦後の奈良の文化交流についての研究報告など関連する研究もおこなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
令和4年度は、昨年度の今後の研究の推進方策に従い、水野と同年代の学者や官僚たちの政治思想と行動について注目し、一定の成果を得ることができた。まず、水野と同年代の学者で、共に神社制度調査会の委員を務めていた、東京帝国大学法学部教授の筧克彦の思想を分析した。水野が官僚・政治家としてあくまでも国民の道徳教育に資するために神社制度を整備しようと試みたのに対して、筧克彦は神道としての「信仰心」を重視した議論や教育実践を展開し、委員内で対立していた。筧は、大正期以降の新宗教の台頭や社会主義の流行など、大正期当時の社会の秩序の動揺に対して、「古神道」「神ながらの道」という独自の神道思想を唱えることで、日常生活と彼の専門分野である行政法学を一貫して考え、生活全体を神道で包括し、秩序づけようとしていたことを明らかにした。 次に、水野錬太郎と同じ内務官僚・政治家であった床次竹二郎の内務官僚時代の思想や動向を明らかにし、その神社・宗教行政の構想に迫った。床次は内務省地方局長時代の外遊経験から、宗教が西洋諸国において道徳の基盤になっているとみなすようになり、宗教を積極的に国民道徳観念の普及に活かそうという発想を明確に有するようになっていった。そして、内務次官就任後、神道と仏教とキリスト教の指導者たちを一同に集めて、国家のために積極的に活用しようと自ら音頭を取った。そして、1912年2月に三教会同という一大会議を実施した。この三教会同は、床次の努力にもかかわらず、明治の末期においては内務省内では同僚の水野錬太郎のように、神社であっても古物としての物質的価値に基づく整理を唱える消極的活用論のほうが多数派であった。ただし、時代が下ると、佐上信一のように精神的価値を重視する積極的活用論も増えた。そのため、床次の三教会同の構想はその後の内務省の神社・宗教行政の動向を指し示すものとなったことを明らかにした。
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Strategy for Future Research Activity |
令和5年度は、三つの方面から研究を推進したい。第一に1920年代において、内務省の政策との関わりの中で、水野がどのように政治教育に関わろうとしたのか、彼が総裁を務めた政治教育協会を中心に論じたいと考えている。すでに複数の学会及び研究会で関連報告を予定しているので、まずこれらの報告を行い、そこでの議論を踏まえて、論文化を図りたい。第二に、既発表の研究報告の論文化である。令和4年度には、水野の友人で、同時代の官僚・政治家であった床次竹二郎、国家観は異なるものの、学者として交流を有していた筧克彦についての研究報告を行なっている。その成果を踏まえて、令和5年度内に研究論文として刊行を目指すこととしたい。第三に、1920年代から30年代にかけての日本の植民地政策についての論文の刊行である。本稿については、農本主義者で、満蒙開拓青少年義勇軍の指導者であった加藤完治についての論文を現在構想している。都市部の比較的裕福な一族に生まれた加藤にとっては、「農民」という生き方は、生命の創出や共同体の保持に直接携わる点で、憧れの感情を抱く生業であった。そこで、「農民」を保護するために、農村の共同体そのものを抜本的に新たにつくり変えなければならないと考え、青少年の指導に取り組むようになる。そして、その延長線上において、満洲への青少年の集団移民を主導するようになったのである。こうした農村の青少年に対する指導への意欲については、加藤ほど精神主義を前面に押し出してはいないものの、地方自治や農業政策の観点から、水野も同時代人として共通する問題意識を有していた。また、加藤が農業移民先として関心を抱いていた満州や朝鮮については、水野も朝鮮総督府政務総監や東洋協会会長、鮮満協会会長、大日本興亜同盟副総裁を務めていたことから、関係の深い地域である。水野と加藤の交差にも留意しつつ、分析を進めていきたい。
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Causes of Carryover |
前年度に新型コロナの影響で予算の残額があり、遅れていた予算の執行の分、今年度の分までずれ込んでしまった。次年度使用額については、史料調査に積極的に使用したいと考えている。
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