2013 Fiscal Year Annual Research Report
江戸時代知識人の清朝史研究と近代日本における東洋史学
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23320148
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Research Institution | The Toyo Bunko |
Principal Investigator |
楠木 賢道 公益財団法人東洋文庫, 研究部, 研究員 (50234430)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
浪川 健治 筑波大学, 人文社会科学研究科(系), 教授 (50312781)
井川 義次 筑波大学, 人文社会科学研究科(系), 教授 (50315454)
上田 裕之 筑波大学, 人文社会科学研究科(系), 助教 (70581586)
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Project Period (FY) |
2011-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 文禄慶長の役 / 壬辰・丁酉の倭乱 / 荻生北渓 / 黒龍江将軍 / ジェルビオン / 康煕帝 / 秋審 / 弘前藩 |
Research Abstract |
本研究は、江戸時代の知識人による清朝史に関する研究を明らかにし、それが日本の近代東洋史学にどのような影響を与えたかを検討し、江戸時代以来の日本の清朝史研究の歴史を明らかにしようと試みるものである。 楠木は、まず、秀吉の朝鮮出兵にまでさかのぼり、加藤清正らが、鴨緑江・豆満江北方の初期ヌルハチ政権の社会をどう見ていたかを、日本側の先行研究から整理した。また続くホンタイジの時代は、日本ではいわゆる「鎖国」が完成する時代にあたるが、ホンタイジは、屈服させた朝鮮王朝を介して、江戸幕府の使節を都、瀋陽まで連れてくるように要求したこと、その目的が、中華世界の実現ではなく、明朝と敵対する清朝が、日本を味方にする、少なくとも明朝の同盟勢力とならないようにするため、善隣外交を行うことにあったことを、清朝側の史料を中心に明らかにした。さらに康煕帝の時代の満洲語文書史料『黒龍江将軍衙門衙門档案』等を利用して、清朝を、満洲族、モンゴル族、チベット族、漢族が満洲人皇帝を戴く同君連合国家と考えることが妥当であること、そのことを康熙帝自身が意識していたことを明らかにした。また、康煕帝に仕えていたイエズス会士も同様の認識を持っていたことを、ジェルビオンの日記を英語版から読み進め、確認した。さらに、清朝に渡航したこともない荻生北渓(八代将軍徳川吉宗のブレイン)が、長崎貿易を通じて輸入された清朝の法制史史料の分析を通して、清朝を中華世界としては認識せず、同様に同君連合国家であるという理解に到達していたことを明らかにした。 浪川は、弘前藩の文書史料の分析を通して、清朝の法運用の慣習である「秋審」を弘前藩が取り入れていたことを明らかにした。また清朝と江戸幕府の間に置かれていた琉球を江戸の知識人がどうとらえていたかの比較座標とするため、奄美の人々が首里をどう見ていたか、離島をどう見ていたか、初歩的な調査を行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
満州国期における清朝史像の変容に関する検討を除くと、本研究の中心課題である、18世紀初頭、19世紀初頭の江戸時代知識人の清朝認識に関する研究は、おおむね明らかになった。若干作業仮説のままになった部分はあるが、それも本年度中に作業を完了することができる見通しが立った。 楠木は、本研究成果を公表するために、清朝史叢書の一冊として、藤原書店から『江戸の清朝研究』を刊行することが、平成24年度に正式決定していたが、すでに、原稿執筆に取りかかっている。またホンタイジ期の清朝史像と、それをどのように江戸時代の知識人が見ていたかについては、山川出版社から世界史ブックレット『ホンタイジ』を刊行することが決まっており、これについても本研究成果をもとに執筆に取りかかっている。 浪川は、弘前藩の行政文書、法制史料の分析を通して、弘前藩に「秋審」(陽気が支配し、万物が生育する春・夏には処刑を行わず、秋に行う)という清朝の法運用習慣を取り入れていたという、これまで知られていなかった事実を発見し、いわば江戸時代人が清朝をどのように理解して、それを自らの社会に導入した実態を明らかにするという、研究の新たな展開が見られた。
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Strategy for Future Research Activity |
①楠木は、過去3年間の研究を踏まえて、単著『江戸の清朝研究』と『ホンタイジ』の原稿を完成させ、17世紀初頭の清朝建国期・幕府の鎖国推進期、18世紀初めの享保の改革期、19世紀初めのレザノフ来航からゴロウニン事件期、幕末開国期の各時代における江戸時代知識人の清朝に関する研究の視角・成果・水準を明らかにし、成果を公表する。また研究の進捗状況から判断して、近代における清朝研究の展開については十分な論を展開できないと考えられるが、できるところまで実証するとともに、今後の研究のための見通しを示す。 ②楠木は『江戸の清朝研究』完成のために、なお不足している部分として、近藤重蔵がオランダ語版から翻訳してもらい、『喇嘛考』執筆に利用したジェルビオンの日記の該当部分を、英語版から翻訳し、近藤重蔵の清朝史研究についての理解を深める。 ③楠木は、さらに、近藤重蔵が注目した清朝の内陸アジア情勢とチベット仏教の関係に関する理解を深めるため、17世紀末の康煕帝とガルダンとの戦いに関する記録を、黒龍江将軍衙門档案の該当部分から調査し、近藤重蔵の理解の妥当性を確認する。 ④浪川は、過去3年間の研究成果を踏まえた新たな研究の展開として、弘前藩を例にとり、『弘前藩御刑法牒』『国日記』を用いながら、法運用に清律の影響が強く見られること、「秋審」という法運用習慣を導入していたこと、この詳細な実態を明らかにする。あわせて、「秋審」の導入が、天明飢饉の直後の不作に対する禁忌として、立ち現れたことなど、清朝に関する知識が、どのように社会に導入されていったか、25年度に概略を突き止めたことの実態を詳細に明らかにする。
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Research Products
(9 results)