2012 Fiscal Year Research-status Report
李叔同(弘一法師)をめぐる日中文化交流の研究:中国の近代化と日本
Project/Area Number |
23520419
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
大野 公賀 東京大学, 東洋文化研究所, 准教授 (20548672)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
西槇 偉 熊本大学, 文学部, 准教授 (50305512)
呉 衛峰 東北公益文科大学, 公益学部, 准教授 (90458159)
トウ 捷 関東学院大学, 文学部, 准教授 (50361556)
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Keywords | 李叔同 / 弘一法師 / 豊子愷 / 日中文化交流 / 国民国家 / 西洋美術 |
Research Abstract |
平成23年度:大野公賀は、1930年代初旬に弘一法師が上海在住の書店主、内山完造を通じて黄檗宗総本山萬福寺に寄贈した仏典『華厳経疏論纂要』および、それに関連して内山に送った礼状の行方を調査し、その所在をそれぞれ萬福寺文化殿と内山の遺品に確認した。これらは、これまで存在は知られていたが、所在が不明で、国内外の研究者から調査を求められていた貴重な資料である。大野はそれらの分析を通じて、弘一法師や豊子愷ら日本への留学経験をもつ中国の知識人と日本の知識人との交流のうち、これまであまり検証されていなかった仏教面での接点を明らかにした。西槙偉や呉衛峰は、弘一法師の弟子で、一九二〇年代初めに日本に留学した豊子愷の日本での文化受容とその中国への影響について研究を進めた。鄧捷は、李叔同(弘一法師)とほぼ同時期に日本に留学し、後に近代中国文学の基礎を築いた魯迅の日本経由での西洋文化の受容について検証した。 平成24年度:大野公賀は平成23年度に予定していながら、上記の資料発見により時間を割くことの出来なかった『護生画集』(全6巻、450幅、1929-1973年)に関する研究を進め、弘一法師と豊子愷の芸術観、宗教観について考察した。また『護生画集』第2、3巻には日中戦争の影響と思われる作品も多いため、これらの作品ならびに戦時中に弘一法師や豊子愷が記した書簡や作品(随筆、漫画)などから、彼らの戦争体験について宗教および日中文化交流という視点から考察した。西槙偉は、豊子愷が日中戦争期に記した『教師日記』について、当時世界的に広く読まれていたアミーチス『クオーレ』との比較研究を行い、弘一法師と豊子愷の師弟関係について考察した。呉衛峰は浙江省桐郷の豊子愷記念館に保管されている『源氏物語』の翻訳手稿を再び調査し、鄧捷は前年度に続き、魯迅や陶晶孫ら近代中国の代表的文学者と日本の関係について研究を進めた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究では、「李叔同(弘一法師)をめぐる日中文化交流の研究:中国の近代化と日本」という課題の下、主として以下の二つのテーマについて検証を行ってきた:(1)李叔同(弘一法師)およびその周辺の日中知識人を中心とした文化交流、(2)李叔同の日本留学および西洋文化受容の背景。各テーマに関する現在までの研究状況は以下のとおりである。 (1)大野公賀は、主として弘一法師が上述の内山完造を通じて行った日本への仏典の寄贈や日本からの仏典の購入の経緯を通じて、戦時下における弘一法師と日本人知識人との交流について論証した。大野はまた李叔同の出身地である天津と日本との関係に着目し、李叔同およびその友人である天津の知識人グループと、日本の文化人との知的交流、特に漢詩を通じての交際や、日本への教育視察とその中国への影響について考証した。西槙偉や呉衛峰は李叔同の弟子である豊子愷に焦点をあて、豊子愷の翻訳した『源氏物語』や夏目漱石『草枕』、また豊子愷の愛読したハーン作品の分析を通じて、豊子愷が日本で受容した日本および西洋文化との関係について研究を進めた。 (2)大野公賀は李叔同の日本留学以前、特に李叔同の近代的な国家観や個人観の形成にあたり、重要な役割を果たした上海の南洋公学に焦点をあて、同校総教習の蔡元培や学友らとの交流、同校で起きた中国最初の学生運動、そしてそれらに影響を受けたと考えられる李叔同の思想的変化と日本留学の関係について検証した。大野はまた、李叔同が南洋公学退学後に上海で行った平民教育のなかでも特に音楽教育に着目し、李叔同が自らに先駆けて日本で音楽を学んだ沈心工の影響で、日本で西洋美術に加えて西洋音楽も学んだ経緯について考察した。鄧捷は、李叔同の留学当時に日本で流行していた西洋文芸思想に焦点をあて、李叔同のみならず、魯迅ら同時代の中国人がそれを如何に受容し、中国に伝播したかを検証した。
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Strategy for Future Research Activity |
次年度は本課題の最終年度であることから、これまでの研究実績をいかし、各自のテーマに応じて引き続き研究を進め、それぞれ学会や論文などで成果を発表する。 大野公賀は当初、本課題の期間中に『護生画集』(全6巻、450幅、1929-1973年)の画賛の全訳と公開を計画していた。このうち第1、2巻については、代表的な作品の解読を著書『中華民国期の豊子愷』(汲古書院、2013年)および論文「『護生画集』解題(1)」(『東洋文化研究所紀要』第162冊、2012年)にて公開した。次年度は残りの第3~6巻の解読を行う。その成果は、今秋、岡山大学で開催される豊子愷と竹久夢二に関するシンポジウムで発表する。同シンポジウムには、中国における李叔同・豊子愷研究の第一人者である陳星教授(杭州師範大学)と西槇偉も参加を予定しており、この機会を利用して、本課題の成果の中国での発表手段(論文集あるいは書籍)について相談する。 西槇偉は、豊子愷が日本に留学していた1921年に出版された中勘助『銀の匙』と豊子愷の随筆の比較研究を行う。これは、西槇がこれまで進めてきた夏目漱石と豊子愷の比較研究に繋がるものであり、その成果については、上述のとおり、岡山大学で開催予定のシンポジウムで発表する。 呉衛峰は、平成24年度に浙江省の豊子愷記念館で入手した、豊子愷の『源氏物語』翻訳手稿の解析を続け、また『源氏物語』以外の豊子愷による日本古典文学の翻訳(『竹取物語』、『伊勢物語』、『落窪物語』など)について調査、研究を進める。 鄧捷は『阿Q正伝』など魯迅の代表的な作品を豊子愷が日中戦争期に漫画化した作品に関する研究を行い、豊子愷による魯迅思想の受容と、中国国民への啓蒙について考察する。鄧捷はまた自らの専門とする詩詞の分野から、李叔同の思想について研究を行う。具体的には、李叔同の出家以前の詩詞と歌曲を対象とする。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
次年度には上述のとおり、秋に岡山大学にて豊子愷と竹久夢二に関するシンポジウムが開催される。これは、豊子愷に関して国内で開催される最初のシンポジウムであり、タイトルには含まれていないが、豊子愷の芸術と宗教上の師である李叔同(弘一法師)も研究対象に含まれる。大野公賀と西槙偉は本シンポジウムに参加して、本課題の研究成果をそれぞれ発表する。そのため大野と西槇は、次年度の研究費の一部を本シンポジウムでの発表内容に関する準備(資料収集)および参加旅費として使用する。 また、李叔同に関する資料は中国(上海・天津・福州等)のみならず、台湾、シンガポール、日本等に散在しているため、大野公賀は休暇を利用して、これらの場所に赴き、各地の図書館や寺院に所蔵されている資料を収集したいと考えている。次年度の研究費は、そのための費用(旅費、資料収集等)としても使用する。また『護生画集』の画賛の解読に際しては、古典中国語および仏教に関する中国語の理解が不可欠であるため、そのための資料の購入や、読解を手伝ってもらう中国人研究者や専門家への謝金としても使用する。 西槇偉は上記の岡山大学でのシンポジウムへの旅費や関連資料の収集費用のほかに、中国(上海、杭州)および東京への出張旅費として使用する。中国では、上海図書館や杭州師範大学(弘一大師・豊子愷研究中心)、浙江博物館にて調査、資料収集を行い、また李叔同の遺族とも交流のある豊子愷の遺族から聞き取り調査を行う。 呉衛峰は、主に東京での調査と資料収集のための費用として使用する。東京では東京大学の図書館や国会図書館、東洋文庫等で資料を収集する。 鄧捷は主として、東京での資料収集の費用、および中国や日本での学会参加旅費として使用する。
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