2012 Fiscal Year Research-status Report
Project/Area Number |
23530205
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Research Institution | Kansai Gaidai University |
Principal Investigator |
池田 亮 関西外国語大学, 英語キャリア学部, 准教授 (60447589)
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Keywords | 脱植民地化 / 冷戦 / フランス / イギリス / アメリカ / 西側同盟 / 北アフリカ / 国連 |
Research Abstract |
平成24年度は、フランスの対チュニジア・モロッコ政策の文脈において、英米との関係がいかなるものだったかを分析した。この研究は、研究題目のスエズ危機・戦争そのものを扱ってはいないが、同政策はスエズ危機の政治的背景を形成していたため、極めて重要である。その成果として、著書の出版と、学会報告を行い、それに伴うペーパーを提出した。 著書は、フランスの二国に対する脱植民地化政策を検討し、1956年の独立付与がその後に続くアフリカ新興国の誕生の先駆けとなったと論じた。従来の研究は、イギリスは比較的穏健に脱植民地化政策を進め、フランスは頑にそれを拒絶したと指摘してきた。だがイギリスの脱植民地化政策は、実は独立付与に直接結びつくものではなく、フランスが先に独立を承認した結果、イギリスも自国植民地に同様の政策を行わざるを得なくなった。加えて、フランスはフランス連合という植民地組織を持っていたが、モロッコ独立はこれへの大きな例外を創り出してしまい、そのためアフリカの英領・仏領植民地は予想をはるかに上回る速度で独立を獲得した。モロッコ独立を契機に、英仏は独立付与によって現地人の歓心を買い、独立後も旧植民地で影響力を保持する方針に転じたのである。 学会報告では、フランスのチュニジア・モロッコ脱植民地化政策が、西側同盟の国際関係といかなる関係にあるかを分析した。脱植民地化の潮流の結果、反植民地主義世論の強いアメリカは独立運動に理解を示し、米仏関係は悪化していた。これを防ぎ、同盟の結束維持に貢献したのがイギリスである。イギリスは植民地を保持しながらも、アメリカに同調して脱植民地化を進めていたが、国連での二国問題討議の際にはフランスに理解を示して国連討議を拒否した。この結果アメリカも国連の介入を最小限にする立場に回った。イギリスはこうしてフランスを国際圧力から守りつつ、脱植民地化政策に導こうとしたのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
現在まで、スエズ危機そのものの研究は進展していない。現時点では、スエズ危機に至るまでの、フランスを中心とする脱植民地化政策の展開と西側同盟内の国際関係の分析に専心してきた。これは主に、上述の、チュニジア・モロッコ独立に関する著書の出版作業に従事したためである。ただし、両国の独立は、1956年7月にスエズ危機が勃発するわずか数か月前になされている。このため下記の点で、両国の独立をめぐる研究は、間接的にスエズ危機研究に資するものだと考える。
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Strategy for Future Research Activity |
チュニジア・モロッコ独立に関する研究に基づき、スエズ危機研究を進める。先行研究ではイギリス政府がそもそも対エジプト戦争に関心を持っていたことが含意ないしは強調されてきた。しかし、私はフランスがイギリスを強制的に引き込んだことを強調する。スエズ戦争の発端となったのは、フランス政府が極めて好戦的であったためである、このため、フランスがなぜ戦争に積極的だったかを分析することは極めて重要であり、特に私はチュニジア・モロッコ情勢との関連でフランスの好戦性を議論したいと考えている。 スエズ危機が勃発した当時、チュニジアとモロッコはフランスから独立したばかりであり、両国の親仏政権は国内の強力な反仏世論のために政権基盤が揺らいでいた。エジプトのナセル大統領によるスエズ運河国有化は親仏政権に大きな打撃を加えるものであり、それゆえにフランスはナセル打倒を目指したのである。しかし、これだけではなく、ナセルによる運河国有化が両国におけるフランス基地の法的地位に影響を与える影響があったことも指摘できる。フランス政府は基地設備の国有化に波及する脅威を覚えたためナセル政権の打倒を目指した可能性があり、この点を今後深く検討していきたい。 従来研究では、フランス政府は運河の国有化以後、対エジプト戦争に一貫して熱心だった点のみが強調されてきた。しかしフランス政府は常に好戦的だったわけではなく、1956年10月上旬までは交渉による解決にも望みを捨てていなかった。このフランス政府の認識を研究することは、この意味で学術的にオリジナリティを持つものであり、スエズ危機研究に資するものと考える。
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Expenditure Plans for the Next FY Research Funding |
ロンドンとパリでの、イギリス政府およびフランス政府の史料調査を、夏季休暇および春期休暇に行う計画である。また、アシスタントによる、資料の編集作業を継続して行う計画である。
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