2014 Fiscal Year Annual Research Report
マックス・ヴェーバーの東アジア論における神義論問題の発展的研究
Project/Area Number |
24730436
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Research Institution | Chiba University of Commerce |
Principal Investigator |
荒川 敏彦 千葉商科大学, 商経学部, 准教授 (70534254)
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Project Period (FY) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | マックス・ヴェーバー / 神義論 / 儒教 / 自己責任 / 教養市民層 / 格差 / 応報 / 平等 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究はマックス・ヴェーバーの神義論問題について、従来注目されなかった『儒教と道教』におけるその展開の可能性を検討するものである。研究ではまず前提として、『儒教と道教』に近代化の「阻害」論を見る解釈を批判し、生活態度の固有な「形成」論の視点を提示した。つぎに基礎作業として『宗教社会学』草稿の記述を検討した。このテキストでは、行為者の「願望」や「要求」、「倫理的態度」の形成や一定の態度へ「駆り立てる力」が言及されている。神義論問題を通してヴェーバーは、宗教的秩序と行為との相互連関によって宗教性が再構成され、文化が独自に形成されていく動態を検討しているのである。 では、それはいかなる形成でありうるのか。最終年度は、上記の検討を踏まえ『儒教と道教』の神義論問題を析出し検討した。善因善果の応報思想は中国にも古くからあったが、ヴェーバーは中国で神義論が現世主義的に展開した点を強調する。儒教の応報では、天に救いを求めることではなく、君子としての自己完成に努めることを以て善行とするのである。ここで教養人たる君子と小人との巨大な格差にヴェーバーは注目する。小人は不運を恐れ強欲に走るが、君子は運命を知りそれに耐える者であり、誇り高く人格陶冶に励む者とされる。だがその一方で、ピューリタニズムとは対照的に、儒教は人間を宗教的資格において平等に扱う。 かくして君子と小人との身分的区別と、両者を平等に扱う結果として自己責任を求める現世主義とが並立する。この事態は、近世以後、希望の見えない努力へと人びとを駆り立てる生活態度を形成する一要因になったであろう。それは教養による陶冶という言説の悲劇でもある。ヴェーバーは、このような認識を、近代資本主義が成立して以後の、疑似的宗教性に関心をもって現世主義的に生きる「職業人たらざるをえない」当時のドイツ教養市民層のもう一つの姿として重ね合わせたのではないか。
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