2012 Fiscal Year Annual Research Report
斎藤優遺稿集よりみる渤海半拉城址発掘史と近代東アジアの外交
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24820054
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
森田 智子 早稲田大学, 教育・総合科学学術院, 助手 (10631947)
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Project Period (FY) |
2012-08-31 – 2014-03-31
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Keywords | 東洋史 / 渤海史 |
Research Abstract |
平成24年度は、「斎藤優の遺稿集と報告書を中心として半拉城址発掘の過程と出土遺物の移管経緯を解明する」ことを目指し、研究実施計画に掲げた次の項目を行った。 1.斎藤優遺稿集の分析。遺稿集を録文におこし、解読困難な文字の特定作業を行い、録文を完成させた。そして、斎藤の行動を時系列ごとに整理した。 2.遺稿集より浮かび上がる半拉城址発掘の過程と遺物の移管経緯。遺稿集より新たに判明したことは、満州国建国10周年の記念事業として行われた半拉城址の発掘調査の終了後に、東京大学の駒井和愛等とともに、斎藤が再度半拉城址の調査を行っていたことである。これで斎藤は、記念事業の発掘とその前年に行った発掘とをあわせ、計3回半拉城址の調査を行ったことが明らかになった。出土遺物については、東京城址出土遺物は、昭和17年5月2日の段階では奉天博物館に所蔵されていたことが判明し、その記述を裏付ける史料を台湾中央研究院近代史研究所档案館で発見した。一方、半拉城址出土の遺物は、琿春県に移管された。その後、保存協会において復原修理をし、奉天博物館か新京の然るべき場所に陳列・保管することを、斎藤と琿春県公署、保存協会の三宅俊成の3者で約束したこと、そしてその後新京へ送付したことが判明した。 3.斎藤優著『半拉城と他の史蹟』と遺稿集との関係。遺稿集の他に斎藤が半拉城発掘について書き残したものに『半拉城と他の史蹟』(半拉城史刊行会、1978)がある。この報告書の中の「附(一)発掘日誌」と「追想」並びに「あとがき」部分に発掘に関する記載がある。これらの記述と遺稿集の記述との関係は、分析の結果、時系列的なつながりとしては、「追想」(昭和16年7月16日~昭和21年末)→「附(一)発掘日誌」(昭和17年3月10日~同年4月28日)→遺稿集(昭和17年5月2日~同年12月下旬)→「あとがき」(戦後)となることが判明した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
今年度は、「研究実績の概要」欄に記載した項目の他に、斎藤優のその他の著作物を蒐集し分析することで、遺稿集をより複眼的に分析する一助とすることを目標としていた。しかし斎藤のその他の著作物を蒐集することは出来たが、それらを分析するところまで作業がおよばなかった。 また、論文の発表や学会での発表にて、斎藤優遺稿集を学界に公開することも目標としていたが、まだ分析途中であるため論考とともに遺稿集を公開するには至らなかった。以上の理由から、研究の達成度は、「やや遅れている」と判断した。 しかし、早稲田大学會津八一記念博物館に、渤海出土の遺物が所蔵されている情報をつかみ、実見するに至った。調査の結果、これらの遺物は渤海出土遺物である可能性が高く、服部和彦という実業家が戦後日本で古美術商から購入したものであることが判明した。これにより、渤海出土遺物は古美術商の手にも渡ったという遺物の移管経緯の一端が明らかになった。この成果は、「新出:渤海仏教遺物の基礎的整理-早稲田大学會津八一記念博物館所蔵服部コレクションより―」の題目で、第14回北アジア調査研究報告会(2013年2月9日、10日、石川県立歴史博物館にて)にて報告した。
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Strategy for Future Research Activity |
平成25年度は、「半拉城址発掘史を同時代の東アジアの国際情勢のなかに位置付けて考え、あらためて『渤海半拉城址発掘とは何だったのか』という問いを明らかにする」ことを目標とする。この目標を完遂するために、具体的に以下の1.から4.までの作業を行う。 1.「外務書記録」の分析。現在、日本の外務省外交史料館に所蔵されている「外務省記録」の分析は、渤海出土の遺物が東京大学に移管されるまでの経緯を明らかにするために有効である。とりわけ「文化財処理委員会」が創設された1946年前後を中心に分析を行う。 2.米国議会図書館及び米国立公文書館での資料調査。1946年2年よりワシントン・ドキュメント・センター(W.D.C)に接収された日本資料は、その一部が1958年に当時の防衛庁防衛研修所戦史室に返還されたのを皮切りに、幾度か返還がなされたが、未だ全ての資料が日本に返還された訳ではない。よって、米国議会図書館及び米国立公文書館にて、「外務書記録」A門「対中国関係」文書をはじめとした未返還の日本資料の調査及び分析を行う。 3.渤海東京城址の発掘との比較。渤海出土遺物の移管の経緯は、同じく渤海の京師である東京城址より出土した遺物の動向と半拉城址より出土した遺物のそれとに大きく二分化される。両遺跡は発掘の主催者や経緯等の違いから発掘行為そのものの性格を異にすることから、遺物の移管経緯も異なる。この相違点を分析することで、当時の歴史をより重層的に描く。 4.斎藤優遺稿集の出版。2カ年の計画を完遂することで、斎藤優遺稿集の学問的価値の紹介を主とした報告書を作成し出版する。あわせて、論文の発表や学会での発表を行う。 以上、4つの項目を遂行することで、2カ年の研究課題を完遂する。
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Research Products
(1 results)