2014 Fiscal Year Research-status Report
「教養」は消滅したのか -ドイツ的教養と現在の「教養」のマッピング
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26503009
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Research Institution | Osaka Prefecture University |
Principal Investigator |
杉山 雅夫 大阪府立大学, 高等教育推進機構, 教授 (00196776)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 日本思想 / 西周 / 西洋哲学 / 教養 / 儒教 / 明治期 / ドイツ |
Outline of Annual Research Achievements |
江戸時代までの伝統的な思想の流れの中に、明治以降「西洋哲学」が新たに導入され、それ以降第二次世界大戦敗戦に至るまで日本の知識人層は、欧米、とりわけドイツ哲学・文学を核とする教養理念を積極的に受容した。中でも、厳格で先験的な道徳律を前提とするカント哲学は、大きな影響を日本の思想界に与えた。それまで歴史的には関連を持たない異質な西洋思想が日本においてなぜ短期間にかつ広汎に理解され、またこれほどの影響力を持ち得たのか。このことを考察するために、江戸期と明治期の狭間に活躍した横井小楠と西洋的な学問の最初の本格的な紹介者である西周の著作を基に、当時の西洋思想と儒教思想との連関性を検討した。
儒教的な立場に立つ開国賛成論者であった小楠は、あくまで「堯舜孔子の道」に基づき、この儒教的な倫理的普遍原理を、西洋を含む全世界に適応しうると考えた。他方で西周は、西洋学問を部分としてではなく、総合的な体系として考え、儒教的な倫理的世界観と対峙させて考察した。当時日本の知識人の間では、西洋的な知見は「西人未曾知理」といわれたように倫理的な基盤を欠いている一方で、技術面だけは優れていると見なされていたが、西は西洋の「理」には人間理性と自然法則という二つの異なった原理があり、西洋的な理概念が儒教的な理の概念よりさらに包括的であることを見いだした。しかし西は「教門論」に見られるように儒教的な天や理一分殊という考えを放棄したわけではなく、むしろこうした概念を中心にしてとりわけ西洋の思想的、社会科学的な議論を理解した。日本の思想的な文脈における西洋化のプロセスはこうして、重層的な相互作用の中で開始されることとなった。しかしこのような生産的な関係が十分に反省されぬまま、「西洋化」という一方的なスローガンの中で西洋「哲学」と日本「思想」は、親和することなしに相関性と異質性の関係を引き摺ることとなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
当初は儒教とドイツ哲学との個別的関連を検討しようとしたが、明治における思想状況を考えるには、もう少し大きな枠組みが必要であると考えるに至り、儒教、主に朱子学、という当時の日本における最も影響力のある思想体系と、全く新しい思考体系である西洋思想一般を対比しながら考察することとした。また西周の百科全書的な西洋知への関心はこのテーマにふさわしいものと考えた。こうしたことのために資料を読み込むのにやや時間がかかった。
筆者は、すでに大正期から第二次大戦までのドイツ哲学を中心とする知識人における西洋知を巡る教養の問題を南原繁や阿部次郎をもとに論じ(「教養と国家」)、戦後における教養の問題を文学者の衰退という視点から論じた(「文学者はなぜ消えたのか」)。現在はドイツにおける教養Bildungの変遷について考えることにより、見えにくくなった教養理念がどのように変貌を遂げているのか、あるいはいないのかを外部の視点から考察している。Bildungという考えは、18世紀頃生み出され、ドイツ的な自己および国家アイデンティティと密接な関係にある。アドルノは、ブルジョアの衰退による従来のBildungの消滅を、大衆化を促進している文化産業の影響を指摘しながらすでに1950年代に論じているが、現在の教養を巡る問題を考察する場合、状況は再び大きく変化しているように見える。すでに教養は明らかに有閑階級を前提とした読書文化から育まれるものではなくなっている。
現在における重要な知は、工業先進国においては、それ自体が持っていたはずの重要性を失い、テクノロジーと融合した富の生産に関わる何ものかに変化している。こうしてみるとドイツ的な教養概念の現在を考えるには、ドイツだけではなくもっと普遍的な視点からの考察も必要になったと考えている。この点も、計画がやや遅れている理由である。
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Strategy for Future Research Activity |
2015年度における研究計画は、経済的技術的グローバル化の中の知の変化と新たな知の習得の手段(MOOCsなど)の考察である。上でも言及したように、それぞれの国家や地域における伝統的な知は、とりわけ経済的、技術的なグローバル化により大きな変容を強いられている。将来的投機に基づく様々な国際商取引と競争的テクノロジーは将来に目を向けることにより成り立ち、過去を参照することを必要としない。一方でこれまでの教養といわれたものは、歴史的なものに依存していた。過去は未来の指針となり、同時に我々に、精神的な充足を与えてくれるものとされていた。しかし過去の遺産、文化もまた現在においては、経済的なネットワークの中で商品化され、同時に市場は少数者に独占化されつつあり、効率化と速度を前提とする最新テクノロジーとの一体化なしでは存続が危うくなっている。
しかしながら伝統知としての教養の変容のあり方は、地域や国によって異なるであろう。経済とテクノロジーの世界的な競争の中で日本がバブル時代のように西洋的価値観との異質性と独自性を強調して優位性をもはや保てないように、ドイツもまた、「哲学と文化」の国ではあり得ず、すでに環境先進国として技術知に軸足を置いている。技術知は現在における教養の一義的な地位を占めつつある。
MOOCsに関しては、2013年からベルリンを拠点とする iversityがコースを提供し始めた。日本でもMOOCsは部分的に始まっているが、こうした知の発信のあり方は、グローバルな学習者のためだけではなくて、それを発信しうる組織、大学や研究機関の所属する国の知的先進度のバロメーターになり得る。そして同時にこうした組織や国がグローバルな知の標準を作り上げていくということになる。先進国による知の独占化と優位が、将来的にさらに強まる可能性がある。こうしたことを検証していく予定である。
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Causes of Carryover |
使用されなかった金額は、主にドイツで行われる予定であった会合と調査用のための旅費である。2014年度は、上記に述べたように明治期における儒教と西洋、とりわけドイツ哲学の相互的な親和性を確認した後、現代におけるドイツの教養Bildungの状況を考察するために戦後から現在までの教養の歴史を辿っている。外国語の文献が主であるために時間がかかっている。しかしながらとりあえずその大まかな流れを独文でまとめ、何人かのドイツの研究者に送付し、年度内に意見を聞くためにドイツでの会合を予定していた。その後いくつかの分野での追加的な調査が必要なこと判明し、学期末も押し迫ったこともあり、会合は2015年度に行うこととした。また、研究者の一人が4月に日本に研究滞在することになり、研究課題について会合を持つことができた。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
2015年度は、昨年度計画していたBildungに関する研究調査を遂行するためにドイツを訪問し数人の研究者と会合する。また、EU域内においては小学校の段階から多言語・多文化教育も行われているが、同時に現在近辺のイスラム諸国の戦争により難民が増加し、他文化に対する敵意も増大している。全く異なった知の基準を持つ人々に対してドイツではどのような教育対策を講じているのか初等中等機関で教育に従事している人々にそうした観点から教育のあり方の変化についてインタビューを予定している。 また、この機会にドイツにおけるMOOCsの現在と今後の展開について資料収集をする予定である。さらに、日本におけるMOOCs について様々な動きがあるがこれについても会合を通じて情報を収集する。また、MOOCs の発祥地であるアメリカの状況も具体的に調査するために、国際会議に参加を予定している。
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