2015 Fiscal Year Research-status Report
「教養」は消滅したのか -ドイツ的教養と現在の「教養」のマッピング
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26503009
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Research Institution | Osaka Prefecture University |
Principal Investigator |
杉山 雅夫 大阪府立大学, 高等教育推進機構, 教授 (00196776)
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Project Period (FY) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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Keywords | 文化的思考 / デジタル社会 / 教養知 / 日本思想 / ドイツ哲学 / 明治期 |
Outline of Annual Research Achievements |
一昨年度のテーマは、ドイツ的な教養理念の日本における思想史的な役割の考察であった。そのためにまず、前史として江戸から明治期における思想家である西周を中心にして西洋思想が儒教思想の枠組みの中でどのように受容されたかを考察した。しかしその後の大正期、昭和期におけるドイツ観念論の日本思想への影響は十分に扱えなかった。そのため今年度は、江戸期から明治、大正、昭和にかけて江戸期までにおける儒教を中心とする哲学的議論が、西洋思想、とりわけドイツ観念論によってどのように影響を受けたかを思想史的に考察し、日本における伝統的な儒教的な議論が寸断され、架空の西洋的な伝統へと結合されていく過程を伊藤仁斎、荻生徂徠、貝原益軒、福沢諭吉、西田幾多郎などを論じながら示そうとした。
該当年度の本来の研究テーマはMOOCsを中心にデジタル社会における知の拡散・変容の問題であり、そのためにドイツ、アイルランドで開催されたコンピューター利用した教育に関するシンポジウム(GMW, ISTAS)に参加した。しかし、ドイツにおいてはなおもMOOCsは大方大学個別の短期的プロジェクトで実施されている状況で、行き先の見えない状況であった。一方アイルランドの報告では、農業から、健康、家電、セキュリティー、学習など様々な分野におけるコンピューター技術の応用が報告された。こうしたことから、テーマをMOOCsに限定せず、まずデジタル社会における知の変容を一般的に考える必要があると考え、今までのような伝統的な知の遺産との関わりのあり方の変化について、現代におけるデジタル社会の論者の議論を参照しながら、デジタル社会に対する楽観論と従来の文化的遺産の喪失を懸念する相対する考え方を元に教養知の質的変化について考察した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
この研究では、昨年までの日本における「ドイツ的教養」の役割の研究を進め、日本における江戸から戦前までのドイツ哲学の日本における哲学的思想への影響を考察し、それと同時に現在のデジタル社会における教養知の変容について考えた。
まず、江戸期における儒教を中心とする思索の一つの特徴は、抽象的な議論に対する批判的な態度であり、「日用」への強い志向である。荻生徂徠、伊藤仁斎、貝原益軒などは朱熹への批判を通してこのことを強く主張した。一方で、明治以来に広まった西洋哲学、とりわけドイツ観念論哲学は、儒教的な遺産によって理解され、受け入れられたものの、結果としてこれまでの日本における歴史的な議論の流れを分断し、パラダイム・チェンジを惹起し、理念的高踏的になり、知的エリートのステータス・シンボルへと変容していった。
次にデジタル化社会における伝統的文化的な教養知の変容についてであるが、21世紀初頭から「文学の終わり」(柄谷行人)が言われるようになった。同じように、Clay ShirkyやRichard Foremanはコンピューター化の社会的影響を論じながら、文学的文化的な遺産への人々の関心の喪失について述べている。コンピューター・テクノロジーの近年における多くの領域における浸透は、過去の文化資産の参照や、それに基づく長い思索を経て体系的な知を獲得するという従来の知のあり方をネット上での検索へと変えている。もはや多くの人々が共有するような大きな文化的理念的な語りは、将来の経済や技術の語りにとって代わられた。またネット上でのコピー文化が拡散し、新たな世界についての知見の創造は減少しつつある。人類の文化的歴史的遺産は、通時的な需要から共時的な利用へとシフトし、質そのものが変容しつつある。従来の古典的教養知はその有用性を失いつつある。
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Strategy for Future Research Activity |
デジタル技術は、それまで限定的にしかアクセスできなかったローカルで一回的なサブカルチャーを、オープンなプラットフォームを通じて誰にでもアクセス可能なものにした。テレビドラマ、音楽やアニメ、個人のビデオなどが世界の多くの場所で享受され、国境を越えて共通な知の領域を形成するようになっている。もはや現場での娯楽イベントや読書の代わりに、多くの人々の好奇心を満足させるものは、多様性と簡便さを特質とし、ネットに媒介されるサブカルチャーの消費になりつつある。かつて古典的な文化需要が大きな物語として普遍性を目指したのに対して、ネット上のサブカルチャーはその多様性により影響力を拡大する。サブカルチャーは、かつての古典的文学作品の代わりに、社会的に寸断され、孤立化しつつある人々の共通知として文化的な結束を確保する重要な役割を果たすようになった。
しかし本来ネット上の知は質的に多様であり、断片化されているので、個人の中で連続した意味的統一を形成しにくい。その結果、人は絶えず越境を志向しながらも、同時に自己アイデンティティを脅かされ、グローバルな志向は逆に、内面化し、ナショナリズム化する傾向にもある。またネットは、ますます拡大する国家間、また同一の社会内における経済的な格差や、歴史的政治的に生成された憎悪の意識を増幅させもする。こうしてデジタル社会は知の平準化と分断化という矛盾を孕む。更に、現在のネット上の情報のやり取りは、基本的に営利企業のプラットホームに依存し、こうした企業は、サブカルチャーを支配すると同時に、顧客の個人データを自由に操作することによって巨大な利益を生み出している。こうした企業と個人間の不均衡な関係は、サブカルチャーが容易に特定の人間に管理される危険もはらむ。こうした中で、ネット上のサブカルチャーが、これから共有知の中で、どのような役割を演じるのか考えてゆく。
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Causes of Carryover |
未使用額が生じたのは、MOOCs関係の国内学会への出席が、授業等の都合によりなかなかできなかったのと、参考図書の購入が十分でなかったためである。一方で27年度にできなかった国際会議への出席は、ドイツとアイルランドのシンポジウムに出席し,ドイツでは関係者とテュービンゲン大学におけるデジタルコンテンツの利用実体について様々な意見を交わすことができた。
図書に関しては、江戸明治の文献は、多くの場合すでに絶版となっていることが多く、図書館での利用となることが多かった。また、デジタル関係の書籍に関しては、数年で古くなることが多く、ネットでの文献収集が多くなった。
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Expenditure Plan for Carryover Budget |
28年度においては、デジタル社会とその問題性に関しての基本文献の収集を進める。また、今年度のサブカルチャーに関する国際学会の出席のため、この領域のスタンダードな研究文献を体系的に収集する。また、コンテンツなどの収集・保存のためのハードウエアが必要となる。
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