2015 Fiscal Year Annual Research Report
中国初期王朝時代における関中平原と陝北地域の地域間交流とその変容
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26884049
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Research Institution | Komazawa University |
Principal Investigator |
角道 亮介 駒澤大学, 文学部, 講師 (00735227)
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Project Period (FY) |
2014-08-29 – 2016-03-31
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Keywords | 初期王朝 / 青銅器 / 玉璋 / 陝北地域 / 関中平原 / 殷周革命 / 袋足鬲 / 石ボウ遺跡 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、中国新石器時代末期から西周時代にかけての初期王朝形成過程を解明するための一環として、周人の本拠地であった陝西省中央部の関中平原と、陝西省北部の高原地帯に当たる陝北地域との地域間交流を明らかにすることを目的とする研究である。この研究課題の解明のために、王朝を象徴する遺物としての玉器と青銅彝器に焦点を当て、その出土状況を詳細に検討し、王朝中心地と陝北地域との間の共通点・相違点について比較を行った。 2014年度は関中平原に位置する周原遺跡で発掘調査を行い、新石器時代末~二里頭期における出土遺物への検討を行った。2015年度には陝北地域の中心遺跡である石ボウ遺跡で出土した青銅器・玉器の調査を行うとともに、関中平原に位置する雍城遺跡で発掘調査を行い、先周時代から西周時代にかけての青銅器の出土状況に検討を加えた。 関中平原において、客省荘二期文化から先周文化への移行の中で、袋足鬲がオルドス地方から陝北地域を経由して関中に影響を与えた点を除いて大きな交流は確認できなかった。二里頭文化における王権の象徴たる玉璋が石ボウで出土した一方で関中から出土しない点を鑑みても、二里頭時代における二里頭と北方との交流は、おそらくは陝西省南部を経由したものであって関中平原はその枠外にあったことが想定される。一方、殷代末期から西周初頭にかけての陝北地域では一定数の周系青銅器が出土したことが確認でき、当地が周人にとっての重要視されていたことがわかる。西周期以降に陝北地域から青銅彝器がほとんど出土しなくなる点を合わせて考慮すれば、殷末から西周初頭にかけての陝北地域は、北方との交流を独占しようとした殷王朝への対抗策の一つであり、殷が滅び陝西省を経由した交流路を確保した周にとって、陝北地域はその重要性を相対的に失ったのだと考えられる。
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Research Progress Status |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
27年度が最終年度であるため、記入しない。
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