Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
夫馬 進 京都大学, 文学部, 助教授 (10093303)
森 正夫 名古屋大学, 文学部, 教授 (00036641)
気賀沢 保規 富山大学, 教養部, 助教授 (10100918)
砺波 護 京都大学, 人文科学研究所, 教授 (10027534)
吉川 忠夫 京都大学, 人文科学研究所, 教授 (30026801)
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Research Abstract |
まず,本課題のために研究会が開かれ,「中国辺境社会」の概念を政治(領土)領域に限定しないこと,北方ではひとまず長城ライン,西方では四川・広東ラインとし,さらに華僑の広範な存在から東南アジアをも含めるべきこと,が合意された. また,このような辺境社会で,民族と民族の雑居・衝突・摩擦のなかから,一民族あるいは両民族にとって,政治・経済・社会・文化の全般にわたる暴発的な飛躍が,どのように生みだされるのか,が究明すべき課題として確認された. 以上のような共通の認識にもとづき,たとえば次のような知見を得た. (1)五胡十六国の時代,北魏を建国した鮮卑拓跋部は自らを漢化させつつ,一方で辺境社会に六鎮の城民と呼ばれる兵士を置く. 兵士は鮮卑族の部族社会に固有にあった自由の回復を求めて反乱し,これを契機に新しい国家=隋唐帝国が形成されてゆく. つまり,ここでは辺境社会の動きが,新しい政治・経済・社会を生む重大な契機になっている. また慕容部の場合も,遼西地方で農耕を主とする漢民族と接触・雑居し,エネルギーをたくわえ飛躍する. (2)東南アジアに対する漢民族の進出は,ことに明代中期以後に顕著となり,ヨーロッパ人のアジア進出にともない,加速さ る. これは,東南アジアの社会を大きく変貌させる. ところが,中国本土について見た場合,単に経済的好景気をもたらしたにとどまり,ヨーロッパ諸国がこれによってのちに「帝国主義」国家へ全般的飛躍をとげる契機をつかみ,文化面でも積極的に異文化を取捨選択して攝取してゆくのに対して,中国はこの辺境社会での接触・衝突を政治・経済・社会・文化の全般にわたる飛躍の契機としなかった. (3)以上に類した観点から見なおすことによって,周の「封建」問題,六朝江南の移住・開発問題,ヌルハチによる後金国建国問題などについても,新しい知見を得た.
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