1990 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
63301001
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
柏原 啓一 東北大学, 文学部, 教授 (30008635)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
滝浦 静雄 岩手県立盛岡短期大学, 教授 (80004026)
篠 憲二 東北大学, 文学部, 助教授 (20086119)
野家 啓一 東北大学, 文学部, 教授 (40103220)
岩田 靖夫 東北大学, 文学部, 教授 (30000574)
上妻 精 東北大学, 文学部, 教授 (10054298)
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Keywords | 他我 / 他者 / 自己移入 / 懐疑 / 志向性 / 人称代名詞 |
Research Abstract |
本年度も夏と冬の二回にわたって合同の研究合宿を催した。発表者は、新田、神崎(夏合宿)、滝浦(冬合宿)の三人である。フッサ-ル哲学を専門とする新田は、〈構成主観としての私が原点に置かれている限り、フッサ-ルの他者構成理論においては他者の他者性が結局は奪われてしまう〉との批判を認めつつも、フッサ-ルの他者経験に関する分析にはこうした自我論的制約を越える可能性がはらまれていることを指摘した。新田によれば、フッサ-ルにあって志向性は必ずしも作用(対象化的)志向性にとどまるものではなく、自己移入の手続きに先立つ次元で他者との関係がすでに構造的に成り立つ場面をフッサ-ルは垣間見ていたという。この場面を新田は「われわれ性」とよび、「〈他者は私ではない〉という非性の経験」がその核をなすことを強調した。神崎は、「他者経験と懐疑」と題された発表において、デカルトの懐疑とアウグスティヌスの懐疑にあっては他者という存在が或る本質的な役割をはたすことを指摘してみせた。また、前代表者である滝浦は、本研究の総括を兼ねた発表において、人称代名詞の用いられ方を例にひきつつ、われわれ日本人が他我ないし他者を論じる際にあまりにも無自覚に西洋哲学の概念枠組みに依拠してしまうことの危険性に対して警告を発した。滝浦によれば、一人称、二人称の代名詞が、つまり英語のIとyouに相当する語が複数存在し、しかも具体的な使用の場にあってそれらの間に相互互換性が成り立たないという日本語の特質ひとつをとってみても、たとえば〈我ー汝〉といった関係性を無媒介にわれわれの議論の出発点としてはならないことがわかるという。
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Research Products
(6 results)
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[Publications] 滝浦 静雄: "新しい倫理学の可能性" フィロソフィア・イワテ. 22. 18-24 (1990)
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[Publications] 宇佐美 公生: "規則の知とその適用" フィロソフィア・イワテ. 22. 9-17 (1990)
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[Publications] 上妻 精: "ドイツ観念論の歴史哲学" 講座ドイツ観念論. 6. 225-282 (1990)
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[Publications] 野家 啓一: "「アスペクト盲」と隠喩的想像力" ウィトゲンシュタイン以降. 221-244 (1991)
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[Publications] 神崎 繁: "〈信なき生〉をめぐって" 人文学報. 221. 53-126 (1991)
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[Publications] 滝浦 静雄: "「自分」と「他人」をどうみるか" NHKブックス, 203 (1990)