1989 Fiscal Year Annual Research Report
ア-ケイック時代のギリシャ史とロ-マ史の比較的研究
Project/Area Number |
63510212
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
石川 勝二 愛媛大学, 教育学部, 教授 (60036390)
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Keywords | ギリシア史 / ロ-マ史 / ア-ケイック時代 / 比較史 / ソロンの改革 / 12表法 |
Research Abstract |
ア-ケイック時代に法が制定され国家の基礎が置かれた。アテナイのソロンの立法(前6世紀初)、ロ-マの12表法(前5世紀半ば)がその代表である。両者は1世紀半という長い時を隔てているが、12表法はソロンの法、又はギリシアの法の影響を受けたかどうか意見は分かれる。伝承によると、ロ-マ人は使節をアテナイに送り法を調査した。「罰金」poenaをギリシア語ποιν〓から借用している。第7表の規定、城壁と墓の建設にさいして地所の境界にある間隔を保たなければならない、はソロンの法を模範にしている。「3枚以上の着物が死者とともに置かれてはならない(10.3)」はソロンの贅沢制限法との関連が注目される。さらにド-リス人の法との緊密な関連も指摘できる。Se fraude esto(4.6)「かれの罪たるべし」は、前450年ころのクレタ島のゴルチュンの法典(2.1,4.15等)にある〓πατον 〓μενと同じである。 しかしロ-マがアテナイに派遣したと言われる使節団は伝説の域を出ないという見解がある。12表法にソロンの法の影響を認めるとしても、直接の借用はなかったという見解が有力である。すなわち12表法の規定は、ロ-マ固有のもので、その型通りの表現もありふれている。法典化の観念は、ギリシア世界にも、12表法以前のロ-マにも、等しく存在した。ロ-マ人はギリシア人の法を新発見し、その影響の下に法を作ったのではなく、法の分野においてもロ-マ人はその独創性をいかんなく発揮した、と。 ア-ケイック時代のロ-マにギリシアの影響がまったくなかったのではないが、それぞれは独自の歴史をもったと言えよう。つまり古典古代史としての共通性を持ちつつも制度などの面での独自性を見せた、という特色が指摘できる。ギリシア史とロ-マ史の比較史的研究には、両者の間の影響と受容という面からの研究も重要となってくる。
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