1990 Fiscal Year Annual Research Report
ア-ケイック時代のギリシア史とロ-マ史の比較史的研究
Project/Area Number |
63510212
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
石川 勝二 愛媛大学, 教育学科, 教授 (60036390)
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Keywords | ギリシア史 / ロ-マ史 / ア-ケイック時代 / 都市建設 / 王政時代 / 共和政時代 |
Research Abstract |
都市の出現とその制度は、古代の地中海世界の最大の特色であった。しかし都市の出現の歴史を明らかにするのは、極めて難しい。古代の都市の、しかも重要な地位を占めた都市は、現在に至るまで数千年にわたり人が居住したため、研究は非常に困難である。その中でも、イタリアにおいては、ロ-マ、ラウィニウム、サトゥリクム、ギリシアにおいては、メガラ、エレトリアなどの発掘結果が注目される.都市化は、前8世紀から前6世紀に、長い時間をかけて行われた.その結果は、ロ-マ市の建設と王改の下ながらその発展の歴史と合致する.これらの都市においては、都市建設の英雄の墓の回りの記念碑的な建築がやがて都市全体の宗教的に重要な地点になった、と考古学は明らかにしており、これは都市国家の発展と一致した特徴を示していると思われる 植民市の歴史を比較検討した.ギリシア人は、前8世紀の半ばから200年間に地中海の全域に植民市を建設した.ロ-マ人も王政時代から共和政時代の長い期間に多数の植民市を建設したが、すべてイタリア半島においてであった。この植民市の建設の違いの意味は大きい.すなわちギリシア人の目的は、土地獲得と通商の拠点の確保であった.一方、ロ-マ人にあっては、むしろ敵の攻撃に対する備えであった.それほどイタリア半島においてはロ-マの敵は多く、危険であったことを示している。ギリシア人の植民市は、ギリシア人を地中海世界に拡大した要因であった。ロ-マ人の植民市は、ロ-マの支配の拡大であっても、ロ-マ人の拡大ではなかった。土地は支配にとって重要な意味をまだ持たなかった。ロ-マが世界帝国を建設しえたのは、土地の支配によるものではなく、人の支配であった。ギリシア人は、進出した先で土地を支配したが、人を支配することは、一部の例外はあるが、なかった。
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