ソヴィエト・アルメニア1920年代における共産党と民族政党との関係
Project/Area Number |
03J10864
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
西洋史
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
吉村 貴之 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2003 – 2004
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2004)
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Budget Amount *help |
¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 2004: ¥500,000 (Direct Cost: ¥500,000)
Fiscal Year 2003: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
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Keywords | アルメニア / ソヴィエト / ナショナリズム / ネップ / 国際関係 / 虐殺 |
Research Abstract |
1921年に設立されたアルメニア救援委員会はアルメニア・ソヴィエト政府が経済復興資金を集めるための機関と化したものの、その活動は虐殺で自らの勢力基盤を失った旧オスマン帝国のアルメニア人エリート層の関心をソヴィエトに向けさせるのに十分なものだった。ソヴィエト政府の首班ミアスニキアンは、ザカフカースの連邦化を唱えて22年にはザカフカース社会主義連邦を成立させる一方で、ある種方便として在外アルメニア人との一体性を唱えていたが、ソヴィエト・ロシア政府のコレニザーツィヤ(民族エリート育成)政策ならびにザカフカース社会主義連邦の有名無実化とともにアルメニア人社会の一体性の方に重心をおかざるを得なくなる。 ところで、1921年に対ソ反乱を起こしたアルメニア民族政党ダシュナク党は、ソヴィエト・アルメニアが経済復興によって政情安定化し、在外アルメニア人エリート層を代表する民主自由党がソヴィエト政権を支持したことによって孤立した。こうした状況下で、ソヴィエト・アルメニアの一体化を図るソヴィエト政府の圧力で1923年11月には「自主解散」させられ、バクンツら旧ダシュナク党員は共産党に合流したが、国外の残党は25年1月ウィーンでの党大会でソヴィエト・アルメニアの奪還を明確化することになる。 ソヴィエト政権を承認するか否かはともかく、ソヴィエト・アルメニアの領域が全世界のアルメニア知識人の意識の中で実体化する背景には、在外コミュニティに進出したダシュナク党の社会統合活動だけではなく、アルメニア救援委員会を通したソヴィエト・アルメニア内外の交流も37年のアルメニア救援委員会の解散までは作用し、「アルメニアの故郷」の神話化(新しいアルメニア・ナショナリズム)の一翼を担うこととなった。
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Report
(2 results)
Research Products
(5 results)