Project/Area Number |
04F04253
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 外国 |
Research Field |
Aesthetics/Art history
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Research Institution | Kyoto University |
Host Researcher |
曽布川 寛 京都大学, 人文科学研究所, 教授
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Foreign Research Fellow |
FORTE Erika A. 京都大学, 人文科学研究所, 外国人特別研究員
ERIKA A. Forte 京都大学, 人文科学研究所, 外国人特別研究員
FORTE A.Erika 京都大学, 人文科学研究所, 外国人特別研究員
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Project Period (FY) |
2004 – 2006
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2006)
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Budget Amount *help |
¥1,600,000 (Direct Cost: ¥1,600,000)
Fiscal Year 2006: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 2005: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 2004: ¥200,000 (Direct Cost: ¥200,000)
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Keywords | 龍門石窟 / 奉先寺 / 中国仏教建築 / 中国仏教彫刻 / 文彦博 / 中国 / 佛教 / 大奉先寺 |
Research Abstract |
昨年度の研究に引き続いて、中国河南省洛陽市の龍門石窟の西山(龍門山)の南に位置する大奉先寺の歴史について、おもに文献資料を中心に研究を行った。 先ず、1997年から2004年にかけてイタリア-中国の共同発掘調査によって発見された碑文の写字と其の解釈および全文の英訳を完成した。碑文に現れる人名や地名については、文献資料を広汎に蒐集し、不明な部分の解明を試みた。これまで蒐集した文献のうち、唐代およびそれ以降の大奉先寺(723年以降は奉先寺と称した)に関するものを選び出し、発見された碑文の資料と合わせて龍門奉先寺の年表を作成した。この年表から、[大]奉先寺の歴史はおおよそ五つの時期に分けられる事が明らかになる。 第一期は大奉先寺が設立された679年から伊河の洪水によって破壊される722年までにわたる。これは大奉先寺の最盛期であり、則天武后の政治との関わりが深い。 第二期は723年から、唐晩期9世紀の半ばまでにわたる。723年に奉先寺は龍華寺と合併し、「大寺」の寺格を失いながら、間断なく活動を続けていたようである。この時期の文献によれば、義福(658-736)や、インドの金剛智(669-741)、さらに不空(705-774)などの僧侶が奉先寺に関係している。 第三期は9世紀後半から10世紀前半までにわたる。皇帝の援助が無くなり、龍門一帯の寺院の活動は全体的に低下する。唐の終りから北宋の成立頃まではこの地域が政治的に不安定であったため、この時期の奉先寺に関わる文献は無く、史料としては奉先寺遺蹟の周囲で発見された「[後]唐天成三年」(928)の碑文が一つ存するのみである。 第四期は北宋時代に当たる。都(開封)の文人や、皇帝とその一族、また皇帝の取り巻きや高級官僚たちに龍門は旅行地として人気を博す。政治家で文人でもある文彦博や司馬光が奉先寺を訪れる記録などがある。この時期の奉先寺は禅宗の寺になっていた。 最後の第五期は12〜13世紀にわたっており、奉先寺の終末期に当たる。発掘と文献の資料から見て、13世紀末に寺は廃絶することが分かる。
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Report
(3 results)
Research Products
(2 results)