Research Project
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
植民主義(colonialism)が席巻した近代社会において、マイノリティによりその束縛からの脱出が主張されてきた。そうした力の磁場において、文化と歴史の記述がいかなる脱植民化(decolonization)の力を持ちうるのかという問題意識に取り組んできた。この大きな課題に対し本研究は、台湾先住民族のうちのタイヤルと自称する人々と日本のかかわりを描く民族誌記述に問題を絞り、追究した。結果として、到来する暴力の記憶の分有が「困難な私たち」を固定的でない形で生み出し、植民者と被植民者の和解、そして脱植民化が進行していくことを理解し得た。絶望的に分断されているかに見える日本人とタイヤルの人々であるが、その断絶を暴力の記憶が橋渡しする。その記憶の橋渡しつまり記憶のつながりとは、現在タイヤルの知識人や政治家が追求する運動に多分に含まれてしまうような、民族主体を立ち上げようとするスタイルとは異なるものである。それは磯田和秀が論じたように、個々の記憶が換喩的につながっていくようなスタイルである。ナショナルな記憶のつながりが全一的な体系を目指し、結果的に強固な民族主体を形成してしまうのとは異なり、換喩的な記憶のつながりは思わぬ他者を巻き込んでしまう。換喩的な記憶のつながりこそが、同一的・全一的な民族主体の形成を生む植民主義を崩していくものである。本研究は、その具体的な民族誌記述をタイヤルと日本の関係に絞り実践した。到来する暴力の記憶において、登場してくるのが「国家」と「戦争」であり、日本と台湾を中心に考察する本研究においては「天皇」であった。暴力の常態化が「平和」として語られるが、スブラック(平和)が本当に平和なのかという、語義をめぐるゆれが生じている。そうした歴史に分け入っていく中で暴力の記憶が不意に到来し、植民者と被植民者という言説上の二分法が崩される。暴力の記憶の到来が、新たな主体を形成し続けるのである。
All 2007 2006
All Journal Article (2 results)
コンタクト・ゾーン 1
Pages: 143-160
台湾原住民研究 10
Pages: 213-233
40015453350