日本帝国圏の電信・電話ネットワークの形成と植民地朝鮮経済の変容
Project/Area Number |
09J06243
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
Economic history
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
李 昌[ミン] (2009, 2011) 東京大学, 大学院・経済学研究科, DC1
李 昌〓 (2010) 東京大学, 大学院・経済学研究科, 特別研究員(DC1)
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Project Period (FY) |
2009 – 2011
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2011)
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Budget Amount *help |
¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2011: ¥400,000 (Direct Cost: ¥400,000)
Fiscal Year 2010: ¥400,000 (Direct Cost: ¥400,000)
Fiscal Year 2009: ¥400,000 (Direct Cost: ¥400,000)
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Keywords | 電信・電話ネットワーク / 電気通信 / 情報の非対称性 / 取引構造 / 朝鮮米 / 台湾糖 / 朝鮮:台湾 / 低開発地域 / ネットワーク / プリンシパル / エージェント / 米穀商 / 電信・電話 / 植民地朝鮮 / 通信ネットワーク / 米穀取引 / 最適契約 / 開港場客主 / 米穀商人 / 情報行動 |
Research Abstract |
平成23年度は、戦前期の朝鮮と台湾に対し、電信・電話ネットワークの形成過程を明らかにした上でそれぞれの電気通信網が朝鮮米と台湾糖の取引構造をいかに変化させたのかについて分析を行った。朝鮮と台湾の電気通信網は、両方とも最初は政府主導の発展が見られたが、第1次世界大戦を境に民間主導へと情報化の主体が変わった。朝鮮の地方名望家たちは、地元に電信施設を誘致し、その経営主体となった。他方、台湾では電信より電話の発展が著しく、米穀業者を中心に市外電話が広く普及した。これまで朝鮮と台湾の電気通信網は、日本の植民地であるがゆえに日本政府の治安・行政網として認識されてきたが、本研究ではそれが民間の経済活動と深い関係を持つ商業・貿易網であったことを明らかにした。 朝鮮と台湾の電気通信網が商業・貿易網として機能していたという具体的な証拠は、朝鮮米と台湾糖の取引構造の変化から確認することができる。開港直後の朝鮮では、全国から米穀を収集し、輸出業者に売り込む商人が数多く活動していた。彼らは米穀取引の際に情報の非対称性が生み出す超過利潤を獲得していた。しかし、米穀取引に電信・電話が使われるようになると、彼らの収益源は手数料に限定されるようになった。一方、台湾ではかつてから両岸貿易が隆盛し、茶、砂糖、樟脳の輸出を担う欧米の商社が多く進出していた。欧米の商社は巨大な商船を保有し、隔たった地域を往来しながら販売差額を得ていた。しかし、海底ケーブルの登場は彼らの業務内容を大きく変えることとなった。とりわけ、糖商は海底ケーブルの登場によって情報独占構造が崩れたため、以前の地位を失い、単なる手数料商人となった。このように、朝鮮と台湾の情報通信網は、商業・貿易網として機能しており、その結果、これまで解明することができなかった特定の業種や産業の興亡の理由が、明らかになったのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
当初の計画は日本帝国圏内の中から朝鮮半島を中心に電信・電話ネットワークの形成過程を考察することであった。しかし、今年度は計画した朝鮮半島はもちろん、台湾島まで含んだ広い地域にわたって電信・電話ネットワークの形成過程を考察することができた。さらに、それを基に電信・電話ネットワークが戦前期の朝鮮経済と台湾経済にいかなる影響を及ぼしたのかについても検討することができた。
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Report
(3 results)
Research Products
(8 results)