2010 Fiscal Year Annual Research Report
日本帝国圏の電信・電話ネットワークの形成と植民地朝鮮経済の変容
Project/Area Number |
09J06243
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
李 昌〓 東京大学, 大学院・経済学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 低開発地域 / 電気通信 / ネットワーク / プリンシパル / エージェント / 米穀商 |
Research Abstract |
日本帝国圏の電信・電話ネットワークの形成過程に焦点を当ててきたこれまでの研究成果を基に、今年度は日本帝国圏の電信・電話ネットワークが植民地朝鮮経済に与えた影響を明らかにした。その研究成果については、『社会経済史学』Vol.76,Nol(201)において既に発表したが、以下、その具体的内容、意義、重要性等について述べておきたい。 朝鮮米の大量輸出が始まる1890年代において開港場客主は、米穀商とともに輸出米の流通・貿易利益を分割していた。1890年代に開港場客主業が繁盛した理由は、エージェントを監視する技術的限界があるがゆえに、プリンシパルの米穀商とエージェントの開港場客主の間における契約形態が、流通マージンを開港場客主へ帰属させるインセンティブ契約にならざるを得なかったためである。 しかし、1900~10年代に形成された電信・電話ネットワークは、米穀取引制度を大きく変え、開港場客主業は事業として成り立たなくなった。プリンシパルのエージェントに対するモニタリング能力が格段に上がり、米穀商は流通マージンを吸収し、専門仲買人の収入は市場均衡賃金である手数料に限定された。電信・電話を利用した米穀取引の具体例は、米穀取引所の利用と米穀商同士のやり取りであった。地方の米穀商が主要都市にある米穀取引所を利用するためには電信・電話が必須であり、米穀商同士の商談にも電信・電話の利用が定着した。 かくして資本を蓄えた米穀商は、その後1930年代の工業化過程において重要な役割を果たした。植民地朝鮮地域においては工業化に先行する情報化が起こり、その過程で登場した米穀商がその後の工業化過程における主役となったのである。このような研究結果は、工業化の経験のない低開発地域において、先んじた情報化がいかにして工業化を促すのかに関する重要な1つの説明になり得る。
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Research Products
(1 results)