研究概要 |
従来,出土文物による中国古代社会の地域的研究を進めてきたが,今次,文献史料『史記』『漢書』との比較検討を行ない,更に,文学,思想史の立場の研究をも統合して,以下のような研究成果を得た。 宮本一夫は,田斉の金文を編年学的に整理し,金文の陳氏名と文献の田氏名との対応を試み,金文の内容から,田氏の財政基盤を明らかにし,斉の王権確立が前4世紀にあったことを論証した。 藤田勝久は,戦国楚の都城・領域の変遷を検討し,春秋末までの楚が江漢の間を本拠地として中原・淮水方面に進出し,戦国中期にほぼ最大の領土国家になったことを,鄂君啓節の分析によって明らかにした。 間瀬収芳は,楚国が前278年に永年の都・郢を秦軍に占領され,陳・鉅陽・寿春と遷都した末期の政治的,社会的状況を検討した。 若江賢三は,秦律における「遷」の内容を分析して,7項目にわたって適用されたこと,有期刑で刑期は5年であったことを明らかにした。また,遷者を社会から隔離するねらいがあったと推測した。 大櫛敦弘は,秦による統一支配が「城壁墮壊」政策などによって被征服地の自立性を奪うものであったこと,反乱鎭圧の体制や関所の防衛ラインのあり方から関中が他の地域を抑える構図の存在を指摘した。 東晋次は,出土文物の父老〓石券を文献史料とつきあわせ,父老の資産高による選任,それが遥役の対象であったことを明らかにした。 湯浅邦弘は,文献にみえる蚩尤作兵説を否定し,更にその説の軍事思想史上における意義を解明した。串田久治は,漢代の民歌,児歌の検討を通して,司馬遷がそこに託した意図を摘出した。加藤国安は,〓信の史詩を考察し,そこに古代の「太史令」的史眼がみられることを明らかにした。田崎博之は,中国から朝鮮,日本への文化的影響を考古学的に検討した。藤田勝久は,『史記』『漢書』研究の文献目録を作成した。
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