研究課題/領域番号 |
05610249
|
研究種目 |
一般研究(C)
|
配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
文化人類学(含民族学・民俗学)
|
研究機関 | 大阪外国語大学 |
研究代表者 |
田和 茂一 (森栗 茂一) 大阪外国語大学, 外国語学部, 助教授 (20188452)
|
研究期間 (年度) |
1993 – 1994
|
研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
|
配分額 *注記 |
1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1994年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1993年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
|
キーワード | 河原 / マチ / 河川 / 船運 / 差別 / 売春 / 非人 / 乞食 / ア-バンフリンジ / 近代 / 部落 / エスニシティー / 沖縄 / 都市 / 民俗誌 / 東北地方 / 城下町 / 近代都市 |
研究概要 |
東北地方のカワラのマチは、城下町のサイズが小さい=地域の経済後背が少ないため、特段の差別地域を生むことは、仙台をおいて他になかった。 これに対して、川崎や尼崎には、近代都市の発展の裏面として、買春地域や在日朝鮮人エスニシティー、被差別部落、沖縄奄美集落が複合して存在している。同様のことは、京都市松・木町でも言えるし、紀ノ川新町でも言える。 西日本では、城下町の河原には、古くから、非人や乞食町、川漁師、女郎屋が並んでいた。また、鍛冶屋、在郷商人、船宿、倉庫、湯屋、渡し場などの並んだ河原のマチが展開した。 これは、近世社会において、西日本の方がより市場経済が展開しやすく、広域の経済圏ができていたからであると思われる。特に、川端を利用した船運は、河原町の発展に大きく寄与した。 ところが、近代にはいってからは、川崎や尼崎といった、大都市の近くの近代工業都市に、こうした河原のマチが発展していったのである。近代工業をささえる下層の労働者たちの居住地として、河原が利用されたのである。
|