研究概要 |
研究の主要な成果は次の6点である。 1.縄文時代中期から晩期には,京都市,滋賀,舞鶴を結ぶ地域や中国山地では,照葉樹林と温帯落葉広葉樹林の中間的な林があり,ここではイチイガシとトチノキの両者を普通に利用した。 2.トチノキの利用開始の古い例は,滋賀県粟津湖底遺跡の縄文時代中期であり,最古の利用開始はトチノキの分布の中心ではなく,むしろ照葉樹林との境界域であった。しかも,貝塚の堆積時期の間に,イチイガシへの依存がトチノキへの依存にシフトしていくことが分かった。 3.クリ堅果は,縄文時代早期には現在の野生ものと同様の大きさであるが,縄文時代前期以降に大型化し,縄文時代後期や晩期には現在の栽培品種と同様の大きさのものがある。 4.青森県三内丸山遺跡では,ブナ林の消滅後,縄文時代前期の約1000年にわたって,クリ林が優占する。この時期の堅果食糧はオニグルミとクリが中心である。人里や畑地に生育する草本も増加するので,これらの利用も考えられるが,主要なものではなかった。 5.シイ属について,遺跡から産出するものならびに現生の変異についてまとめ,スダジイとツブラジイの利用について検討した。スダジイがコジイの栽培品種ではないかとの見方があったが,これは否定された。 6.各地の縄文時代の大型植物遺体の情報を集成し基礎資料を作成した。
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