研究概要 |
日本にスキーが紹介されたのは明治末期迄遡るが,全国的なスキーの普及は大正末期から昭和初期の間に始まる. この時期の全国的なスキーの普及に重要な役割を果たしたのが紛れもなく,樺太生まれの桜庭留三郎であった.彼はレルヒの愛弟子であった金井勝三郎の後を受けて大正6年頃より樺太のスキーを発展させた. また大正11年には樺太から東京まで約3ヶ月を要してスキー行脚を行い,直接・新聞を通じて日本の多くの人々にスキーの魅力を知らせた.スキー行脚では行く先々でスキーの講演・講習会を開催し,スキーの魅力を人々に説いた.それによって今までスキーを行わなかった東北地方や関東地方でも人々に,関心を呼び起こすきっかけを作った. 大正12年以後,この偉業を成しどけ全国的に有名になった桜庭は,更に各地でのスキー普及に奔走した.東北の青森県では大湊,弘前,岩手県では盛岡,秋田県では大館,北陸の富山県では城端,福井県では大野,関東の群馬県では水上,長野県では菅平,美ヶ原などに長期に渡り赴き,各地でスキーの講習を昭和10年頃まで続けた. まさに,全国的な普及期において実績と経験にもとづく普及は個人の活動であったが,はかりしれない重要な役割を果たしたと言えよう.
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