研究概要 |
13,4世紀神聖ローマ帝国の帝国国制との構造連関の中で、スイス連邦がいかに成立し、発展したか、国制史的に考察した。まず、皇帝と中スイス地方の渓谷との関係を解明するために、13,4世紀の皇帝特許状を分析した。その結果、各渓谷は、皇帝との結び付きを絶えず求めながら、皇帝直属の帝国国制上の地位を堅持した。こうした皇帝の後ろ盾に支えられて、1291年、ウーリ、シュヴィーツとウンターヴァルデンは、原スイス永久同盟を盟約した。ヴィルヘルム・テル伝説によれば、この同盟は、ルツェルン湖の湖岸にあるリュートリの草地で盟約された。その同盟文書の分析によって、この永久同盟が、13世紀の帝国ラント平和令を継承しながら、一定地域の平和秩序を盟約で維持しようとした。原スイス氷久同盟の基本的あり方は、1315年更新されても変わらず、皇帝との国制的関係を堅持しながら、渓谷内外のラント平和を誓約で遂行しようとした。14世紀中頃からは、ハープスプルク家との利害対立が激化し、周辺の有力都市が原スイス永久同盟と盟約するようになる。ルツェルン、チューリヒ、ツークとベルン、それに渓谷グラールスが、共同で、あるいは個別に加盟し、1353年、8つの都市と渓谷からなる諸同盟に発展した。これ以降、ハープスブルク家の領域拡大政策に対抗して、諸同盟が独自の領域政策を積極的に推し進めるが、その際にも、皇帝特許状は大きな威カを発揮した。15世紀からは、諸同盟が共同で、あるいは個別に内外に向けて領域を一層拡大することになり諸同盟の嶺土拡大に貢献したが、同時に諸同盟内の対立も引き起こした。この危機を契機に、逆に周辺都市の諸同盟への加盟が進められた。その結果、1481年から、フリブール、ゾーロトゥルン、バーゼル、シャフハウゼンと農村領域アペンツェエルが新たに加盟した。1513年には、スイス連邦は、13の都市と渓谷からなる諸同盟に発展したのである。 今後、スイス連邦の発展を、都市・農村の関係史として捉えて、諸同盟の構造、諸同盟文書の諸規定を分析することが、不可欠な視点である。この視点から、皇帝と有力貴族ハープスブルク家の権力構造の中で、スイスの都市と渓谷が、いかに独自の国家的まとまりをつくっていったか、さらに、内外で「スイス国」あるいは「スイス人」としてのイメージが人々の心性に思い浮かぶようになったか、15,6世紀の諸史料から読み取ることが、重要な課題となる。
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