研究課題/領域番号 |
09710214
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 武庫川女子大学 (1998) 山口芸術短期大学 (1997) |
研究代表者 |
安東 由則 武庫川女子大学, 教育研究所, 講師 (10241217)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
2,100千円 (直接経費: 2,100千円)
1998年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1997年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
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キーワード | 森 有礼 / 身体 / 近代学校 / 体育 / 歴史社会学 / スポーツ |
研究概要 |
男子中等学校の場合、明治10年に体操伝習所を作り、アメリカより医師リーランドを招聰して体操を盛んにしようとしでいたのであるが、実際にはそれほどは普及をみなかった。教育現場では主知主義的傾向が支配的であり、体育の実行は顧みられなかったのが実状であったからだ。初代文部大臣森有礼はこうした傾向を一変させた。文部大臣就任以来、兵式体操の導入、洋装制服の導入、運動会の実施などにより体育を学校教育により積極的に位置づけていったのである。平成10年度の研究では、学校教育における身体のあり方を大きく変えていった森有礼の身体観がどのように形成され、彼が行った政策がどのような意図を持っていたのかを中心に探っていった。(第50回日本教育社会学会にて口頭発表。『臨床教育学研究』6号に論文発表予定) 森の持っていた課題意識は、常に日本という国家をどう発展させるかということであった。そのための手段として森は「教育」に着目したのである。国家を支える人々を「国民」として作り変える「教育」こそが重要であると考えた。しかも急速にそれを行っていかなければならないことを長い海外での経験から彼は知っていた。そしてその教育の手段として注目したものが「身体の教育」であった。森にとって「身体の教育」は単に身体の健康維持にとどまるものではなく、「国民」としての精神を作り上げていく道具として捉えられたのだ。「兵式体操」の導入は「国民」としての「行動の型」を身につけさせるための手段であった。 とはいえ、国外の情勢を鑑み、プロシアを範とする天皇中心の大日本帝国憲法を制定し、国民国家を作り上げようとしている情勢の中で、国内の諸勢力(元田永孚など)との妥協の連続であった。天皇という存在を「国家」と「国民」の媒介として位置づけ、「忠君愛国ノ精神」の刷り込みを行わなければならなかった。しかしながら、「忠君愛国ノ精神」の養成とて、あくまで国家への義務として捉えていたのであり、元田らの目指す道徳とは強く一線を画していたのである。
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