研究概要 |
筆者はかつて『日本近世割地制史の研究』(雄山閣・昭和57年)で日本近世割地制の成立と構造について考察した。本研究はそれをうけ、近現代の割地制の研究を新潟県(近世・近現代を通して最も豊富な割地関係史料の現存している県)で行い,割地制と地租改正及び農地改革との関係を解明し,割地制を日本土地制度史の上に位置づけようとしたものである。三か年間の研究成果を箇条書にすると以下のようになる。 (1)近世割地村では,土地の割替を通して,土地が土地と高(石高)とに分離され,所持が処分と用益とに分離され,土地の持方が一般の村での持方とは相違するようになった。 (2)近世割地村で農民は,地ならし→割地を一体のものとして考えるようになった。その結果農民は,割地のことを地ならしとも云うようになった。 (3)近世村型割地は,(1)藩型割地(大竿検地)→村型割地,(2)藩型割地(銘々竿検地)→百姓相談→村型割地,(3)村型検地(地ならし)→村型割地の三類型で実施された。 (4)近世割地村では,各村で独自の割地竿が大量に使用される場合もあった。 (5)近代村型割地は,自然的悪条件がなくならない村では,地租改正との攻めぎ合の中で共有土地組合を組織して実施された。 (6)現代村型割地は,自然的悪条件がなくならない村では,耕作者が土地所有者となることを保留し,共有土地組合を組織して実施された。 (7)近現代村型割地は,自然的悪条件がなくなると廃止された。
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