研究課題/領域番号 |
15330164
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | お茶の水女子大学 |
研究代表者 |
米田 俊彦 お茶の水女子大学, 文教育学部, 教授 (90183996)
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研究分担者 |
鷹野 光行 お茶の水女子大学, 文教育学部, 教授 (20143696)
秋山 光文 お茶の水女子大学, 文教育学部, 教授 (60130861)
小風 秀雅 お茶の水女子大学, 大学院・人間文化研究科, 教授 (90126053)
舘 かおる お茶の水女子大学, ジェンダー研究センター, 教授 (50155082)
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研究期間 (年度) |
2003 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
11,500千円 (直接経費: 11,500千円)
2005年度: 3,400千円 (直接経費: 3,400千円)
2004年度: 2,900千円 (直接経費: 2,900千円)
2003年度: 5,200千円 (直接経費: 5,200千円)
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キーワード | 女子高等教育 / 戦後史 / 国立女子大学 / 留学生 / 大学資料 |
研究概要 |
戦後の女子高等教育の展開過程を明らかにするうえで、お茶の水女子大学と奈良女子大学がそれぞれ女子高等師範学校から単独で新制国立女子大学に転換したことをふまえ、両大学の戦前からの歩みを「国立女子大学」というカテゴリーで検証し、その歴史的位置づけを試みた。両大学とも示し合わせたように女子帝国大学構想を立ち上げており、多数の学部を設置することを構想していたものの実現に至らず、結局は文・理・家政という旧女高師そのままの構成の大学として発足した。しかし戦後、国立大学が各地に新設され、あるいは多種の学部が増設されていくなかで、2つの国立女子大学はそのままの体制を維持した。1950年代から70年代には、女子の大学進学率は上昇したものの、女子の大学教育や女子大学にとって順風が吹いていたわけではなく、「女子大生亡国論」が象徴するように、女子が大学で学ぶこと自体が批判の対象になるような時代であり、国立女子大学が学部の種類を増やしつつ各分野の女子の大学進学をリードできるような時期ではなかったことを明らかにした。 2つの国立女子大学について言えば、例えば両方の大学ともに、比較的勉学意欲の高い学生を全国から少しずつ集めているといった共通の特徴が見られるが、一方で、奈良女子大学の方が創立時期の関係で良妻賢母教育にやや傾斜している面があるかもしれないとの違いも浮かんできた。両者の比較研究はこれまでなされてこなかったので、比較を行ったことも成果であったと考えている。 戦後の女子大学を考えるうえで、帰国留学生の帰国後の動向が大きな意味をもつと考え、韓国と台湾で2回ずつ聞き取り調査を行った。留学生の帰国後の社会の中での活動を見ることで、女子大学の役割がより大きく見えてくるものとの仮説を立てた。留学生にとっては女子大学の学びやすさが大きかったこと、日本で学んだことが帰国後に最先端の知識、技術として役立ったことなどが確認できた。 2つの国立大学は発足時から理学部を設置している。文学部・家政学部がほとんどの女子大学の中で、理学部が果たした機能を明らかにすることは国立女子大学の戦後史を描くうえで重要な要素である。この点にかかわって、東京女子高等師範学校が輩出した女性自然科学者についての調査を行った。 戦後の大学史研究にとって日々増えていく資料の整理の仕方が1つの検討課題である。そのことにかかわって、資料のデジタル映像化の可能性について試行し、可能性と問題点を浮かび上がらせた。
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