研究課題/領域番号 |
16K16920
|
研究種目 |
若手研究(B)
|
配分区分 | 基金 |
研究分野 |
アジア史・アフリカ史
|
研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
上田 裕之 筑波大学, 人文社会系, 助教 (70581586)
|
研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2019年度)
|
配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2019年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2018年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2017年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2016年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
|
キーワード | 貨幣史 / 清朝史 / 財政史 / 档案 / 雲南省 / 雲南銅 / 銅政 / 制銭 / 清代史 / 雲南 |
研究成果の概要 |
本研究の目的は,18世紀なかばから19世紀前半に中国において銀と銅銭を併用する貨幣システムが動揺して清朝の統治を揺るがすに至った経緯を明らかにするため,この時期の清朝の銅銭供給政策に財政面から検討を加えて政策の推移を整合的に理解することである。この研究によって,以下の事実が解明された。 乾隆(1736-1795)の後半,雲南省では銅の生産コストが上昇し,省政府が銅山に先払いした多額の銀が回収不能に陥った。省政府は銅銭の追加鋳造を行い鋳造差益を得て買い取り価格を増額しようとしたが,清朝中央の指令によって北京や他の省への銅供給が優先され,問題の解決は妨げられた。
|
研究成果の学術的意義や社会的意義 |
19世紀前半の中国において銀が騰貴したことはよく知られているが,単純にアヘン流入と表裏をなして銀が流出して騰貴したとみなす古い理解がいまだに根強く残っている。しかし,銀の騰貴とは第一義的には銀の対銅銭レートの騰貴であり,18世紀後半から銅銭流通が次第に弛緩していったことと的確に関連付けることが不可欠である。そして,18世紀後半とは清朝の全盛期に相当する。本研究は,清朝の繁栄をもたらした財政システムの内側から後の混乱の契機が芽吹いた経緯を明らかにし,それによって近世から近代にかけての中国史に関して多面的な見方を提供しようとするものである。
|