研究課題/領域番号 |
17K01189
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
科学社会学・科学技術史
|
研究機関 | 国際日本文化研究センター |
研究代表者 |
松田 利彦 国際日本文化研究センター, 研究部, 教授 (50252408)
|
研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2019年度)
|
配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2019年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2018年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2017年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
|
キーワード | ロックフェラー財団 / 志賀潔 / 金昌世 / 水島治夫 / 京城帝国大学 / 公衆衛生学 / 植民地朝鮮 / 植民地台湾 / 公衆衛生 / 植民地医学 / セブランス医学専門学校 / ロックフェラー / 赤十字 / 朝鮮 / 台湾 |
研究成果の概要 |
日本統治下朝鮮では、米ロックフェラー財団の働きかけのもと、医学校・大学医学部改革を通じた公衆衛生改革が構想され、そのもとで公衆衛生学が形成されていく。1910年代においては、ロックフェラー財団は宣教師系私立学校であるセブランス医学専門学校への支援の可能性を考えていたが、1920年代以降は、日本植民地初の京城帝国大学の創建に着目し、初代医学部長志賀潔と接触しながら、朝鮮を日本帝国における公衆衛生改革の拠点にしうると考えるに至った。このようなロックフェラー財団のもたらした実際の改革、水島治夫のアメリカ派遣、そしてその遺産を戦後日本と韓国にまで射程を伸ばしながら検討した。
|
研究成果の学術的意義や社会的意義 |
日本と朝鮮における近代的学問の形成過程は複雑に絡みあっており、日韓の医学史の議論も今なおかみ合っていない。 本研究は、日本統治下の朝鮮において、朝鮮人・日本人医学者がともにアメリカ医学の導入を構想してロックフェラー財団に援助を求めた事実を発掘し、その歴史的意味を考察した。これを通じて、植民地朝鮮の近代医学の形成において、日本からの影響のみならずアメリカの影響をも考慮すべきこと、しかし同時に、植民地の「学知」の世界においては民族的対立構造が厳存しており、戦後における学知の遺産の問題とも関わっていることを明らかにした。
|