研究課題/領域番号 |
17K12358
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
生涯発達看護学
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研究機関 | 神戸市看護大学 |
研究代表者 |
高田 昌代 神戸市看護大学, 看護学部, 教授 (50273793)
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研究分担者 |
嶋澤 恭子 神戸市看護大学, 看護学部, 准教授 (90381920)
藤井 ひろみ 神戸市看護大学, 看護学部, 准教授 (50453147)
奥山 葉子 神戸市看護大学, 看護学部, 助教 (00511601)
平田 恭子 神戸市看護大学, 看護学部, 助教 (90727314)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2020-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2019年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2019年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2018年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
2017年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 産婆 / 明治期 / 助産史 / 助産の栞 / 楠田謙蔵 / 緒方正清 / 朱子産婆論 / ドイツ医学 / 産婆學雑誌 / 助産師 / 明治 / 名称 / 助産観 |
研究成果の概要 |
明治後期、人々は産婆の経験による技術を認め、知識を高めるための方策が立てられてきた。異常時は医師が対応できず、産婆が対処する事が多くあった。教育も日本独自の内容でなされてきた。この中、産婆という名称は、単なる経験だけで行っている産婆と区別するために新たな知識や技術を持った専門職としての改称が必要であることは産科医や産婆たちの間で話し合われたが、賛否両論があった。しかし、異常分娩は産科医が行うへというルールがある中で、緒方らは知識のない産婆を取り締まるようにした。そのため、産婆は異常分娩を扱わなくなっていき、その時代とともに緒方らが提唱した「助産婦」という名称が使われるようになったと考えられる。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
明治期に女性で初めての職業として確立した産婆が、昭和には助産婦と改称となった。その背景には、その職業の責務や職業観、社会的背景などが影響している。本研究では、その名称の成り立ちや名称に関して、産科医間だけでなく産婆の間でも議論があったこと、その背景には、産婆の知識や技術、職責を「できる者」ととらえるか「出来ない者」ととらえるかによって、改称されたことが明らかになった。さらに、明治期に日本の医学がこのことは、現在の助産師の役割・責務にも通じ、歴史から学ぶことの意義は高い。
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