研究課題/領域番号 |
18251001
|
研究種目 |
基盤研究(A)
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 海外学術 |
研究分野 |
文化財科学
|
研究機関 | 奈良大学 |
研究代表者 |
西山 要一 奈良大学, 文学部, 教授 (00090936)
|
研究分担者 |
酒井 龍一 奈良大学, 文学部, 教授 (00153859)
栗田 美由紀 奈良大学, 文学部, 助教 (00309527)
泉 拓良 京都大学, 大学院・文学研究科, 教授 (30108964)
中村 晋也 金沢学院大学, 芸術文化学部, 講師 (10301003)
|
連携研究者 |
泉 拓良 京都大学, 大学院・文学研究科, 教授 (30108964)
|
研究期間 (年度) |
2006 – 2009
|
研究課題ステータス |
完了 (2009年度)
|
配分額 *注記 |
24,310千円 (直接経費: 18,700千円、間接経費: 5,610千円)
2009年度: 4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2008年度: 3,640千円 (直接経費: 2,800千円、間接経費: 840千円)
2007年度: 6,240千円 (直接経費: 4,800千円、間接経費: 1,440千円)
2006年度: 10,270千円 (直接経費: 7,900千円、間接経費: 2,370千円)
|
キーワード | 壁画地下墓 / レバノン / ローマ時代 / 保存・修復 / 保存環境 / 顔料分析 / 学際研究 / 保存科学 / 学際的研究 / ガラス分析 / 保存科学研修 / レバノン共和国 / 顔料 / 修復 |
研究概要 |
レバノン共和国は地中海に面して温暖な気候・自然に恵まれ、紀元前1500年頃にアルファベットを生み出したフェニキア文化が栄えた。レバノンの地は南のエジプト、東のメソポタミアを控え、永い歴史の全時代を通じてさまざまな勢力、文化、民族が交錯し、また新たな文化が築かれた地域でもある。 レバノン共和国の首都・ベイルートの南約80kmのティール(スール)には世界文化遺産「フェニキアの中心都市として栄えた港町ティール」がある。フェニキア時代の遺構は未解明であるが、ローマ時代の列柱道路・水道橋・ヒッポドロムス・ネクロポリスなどの遺跡が発掘・修復されていて、レバノンにおけるローマ文化の見事な精華を見ることができる。 ティール世界遺産地区の東約2kmの丘陵裾にはローマ時代からビザンチン時代の地下墓が多数発見されているが、その一角、ラマリ地区に所在する壁画地下墓TJ04の保存修復を2004年度より4年間5次にわたって実施した。地下墓TJ04は既に開口し墓室内は損傷著しい状況であったが、この保存修復に伴う考古学・美術・保存科学調査によって、壁面に20基、床に2基の納体室のある地下墓の構造、石灰岩岩盤を掘削し切石で組み上げる築造の技法、壁面を土器砕片を混入した漆喰で平滑に整える壁面調整技法、波形・石柱・灯火台・オリーブ、コンパスを使った花形などを赤・茶・黄・緑・黒の5色を基本とする彩色技法、機器分析による赤はベンガラ、緑は緑土であるなどの顔料同定、鉛棺・陶棺・壷・ランプ・ガラス瓶などの出土遺物などからTJ04は1~2世紀に築造された地下墓であることを明らかにし、さらに温度・湿度・照度・大気汚染などの環境調査を行い、墓室内環境が極めて安定していることが壁画を良好に保ってきた要因であることも明らかにした。 2009年度は新たにラマリ地区の南1kmのブルジュ・アル・シャマリ地区に所在する壁画地下墓T.01の保存・修復に着手した。ブルジュ・アル・シャマリT.01も既に開口して損傷していたが、墓室四壁の孔雀や魚・壷・銘文などの壁画・文字は色彩も鮮やかに残されていた。初年度の調査とし主として墓室内外の清掃や現状記録を行い、床に6基の掘り込み棺のある墓室の構造、石灰岩岩盤を掘削し壁面に土器砕片を混入した漆喰で平滑に整える壁面調整技法、孔雀・魚・鳥・肉・パン・壷・草花・星・オリーブの葉綱・花綱などを赤・茶・黄・緑・黒など行う彩色技法、壷・ランプ・ガラス瓶・人骨などの出土遺物、壁面のギリシャ文字による死者への慰め銘文、さらには床モザイクのギリシャ文字銘文の「BKT」=ティール暦322年=西暦紀元196/197年の記年によってT01は2世紀末に築造された地下墓であることを明らかにした。これと並び温度・湿度・照度・大気汚染などの環境調査を行い、墓室内環境が極めて安定していることが壁画を良好に保ってきた要因であることも明らかにした。 ティール市近郊に所在するローマ時代地下墓は、ラマリTJ04のように墓室壁に納体室を設ける形態が一般的であることからすると、墓室壁に納体室を設けないブルジュ・アル・シャマリT.01は特異な存在である。今回修復を手がけている2基の地下墓の築造年代に差はないと思われるにもかかわらず、このような構造的な差異は何を意味するのか、今後も継続して研究を続ける予定である。
|