研究課題/領域番号 |
18K00179
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01060:美術史関連
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研究機関 | 京都大学 (2021) 独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館 (2018-2020) |
研究代表者 |
呉 孟晋 京都大学, 人文科学研究所, 准教授 (50567922)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2021年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2020年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2019年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2018年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
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キーワード | 来舶清人 / 書画交流 / 長崎 / 京都 / 大阪 / 森琴石 / 沈南蘋 / 方西園 / 王冶梅 / 胡鉄梅 / 陳曼寿 / 張秋穀 / 孟涵九 / 西日本 / 書画 / 文人 |
研究実績の概要 |
中国・清時代、すなわち日本の江戸から明治時代にかけて来日した中国文人たち(いわゆる「来舶清人」)の活動範囲を現存する書画作品の調査から明らかにするのが本課題の目的ある。本2021年度は、新型コロナウイルス感染症の感染状況が比較的落ち着いていた時期を見計らって、報告者の勤務地である京都市内にて三つの個人コレクションを集中的に調査する機会に恵まれた。 一つめの調査先では、江戸後期の来舶清人の書画作品をとおして、当時の清人同士および日本の文人との具体的な交友の様相をうかがうことができた。弘化元年(一八四四)に清人七家が書画を寄せ書きした軸には頼山陽の門弟と称した沈萍香や川原慶賀とつながりのある江元ギ、長崎に出入りした鄭敬安らの名がみえる。文久二年(一八六二)の軸は王克三や徐雨亭らの書画に大分出身の帆足杏雨も水仙の画を添えており、長崎あるいは九州での日中の文人たちの出会いが想起される。あわせて、乾隆十二年(一七四七)の年紀がある沈南蘋の花卉図も確認できた。 二つめは書道研究者旧宅での調査で、中華民国期以降の書画にまじって明治初期に来日した清人の書画をみつけた。ひとつは衛鋳生と王冶梅の扇面で「杉浦先生」なる人物にあてたもので、もうひとつは陳曼寿が「山城」こと京都で揮毫した書の扁額である。さらに黄吟梅が松を画き、陳曼寿が題を添えた掛幅もあった。三つめは篆刻家の関係者宅の調査で、黄一キの梅石図のめくりや呉芝瑛の行書団扇があった。前者は明治十二年(一八七九)の作で、大阪の南画家・森琴石が翌年に出版した画帖に本図の図柄と似た墨梅図が掲載されており、出版事業への協力の様相をうかがうことができる。 森琴石については、作品調査と並行しておこなった明治期の新聞を中心とする文献調査で雑報や広告によく名が挙がっており、来舶清人の協力者としての存在の大きさが確認された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナ禍も2年目となり、作品調査を主眼とした本課題にとって、とくに九州など遠方での新規調査先の開拓に困難が生じている状況に変わりはない。前2020年度からは感染が収束しない事態も想定して、作品調査のみではなく、関連する展覧会の参観や図書館での文献調査の頻度を増やして新知見の獲得につとめてきた。そのなかで、当初計画に掲げた西日本における来舶清人による「書画の道」の実態の解明するための手がかりがいくつかみえてきた。 とくに文献調査では、本課題の前半ですすめてきた岡山県倉敷市児島にある野﨑家塩業歴史館と、森琴石の子孫にあたる兵庫個人宅で調査した明治期の作品や作者について、当時の新聞や漢詩人たちの文集などから情報をおぎなった。その結果、「遊歩規程」により外出範囲を制限されていた清人は、森琴石をはじめとする日本人協力者によって新潟や愛媛、高知、島根にも足を延ばしており、大阪を拠点に各地に放射状に点在する文人同士の横のつながりをうまく利用していたことがわかった。 さらに、来舶清人との親密な交流は書画の贈答にとどまらず、文物についての情報交換にもおよんでいる。それゆえ、日本にある中国書画のなかでも江戸時代にもたらされた「中渡り」から辛亥革命による清朝崩壊と中華民国建国による「新渡り」にいたるまでの書画鑑賞のあり方の転換にとって緩衝材的な役割を果たしたことも明らかになってきた。これらのことは、当該年度の秋に開催されたシンポジウムで発表したり、次年度はじめに刊行される紀要にて発表を予定したりしている。 本課題で掲げる来舶清人の「書画の道」が長崎から京都まで街道に沿って直線的に経路が構築されているとの仮説は、たとえば明治期に限っては修正する必要がでてきているわけであるが、調査と考察がすすんだゆえの成果として、最終的な研究成果の取りまとめにてこれらの新見解を反映させたい。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの調査と考察によって、明治期の来舶清人が日本の文人たちと親しく交友していた様相が明らかになるにつれて、清人本人たちの書画のみならず、彼らの文才や文物についての知識も重宝されていったことがわかってきた。清人たちが各地で書画の鑑定もおこない、中国書画の知見を広めていったことで、「新渡り」の中国書画を受容する素地を用意したといえる。コロナ禍ゆえに調査を十全に敢行することができないなかで、次年度は大正時代まで時期を繰り下げて、来日中国人のまとまったコレクションを図版目録などの報告書として刊行することで紹介してゆく方策も考えている。 その候補のひとつとして考えられるのが大正初期に来日した書画収集家・廉泉が蔵した明清の扇面画のコレクションである。八〇〇面以上あるこの扇面群は現在個人の所蔵で、登録美術品として東京国立博物館が保管している。冒頭の「研究実勢の概要」でふれた行書団扇を書した呉芝瑛は廉泉の夫人であり、書画を揮毫する来舶清人の掉尾をかざる文人ともいえる。扇面コレクションには、明の王建章といった「中渡り」で重宝された画人の作も含んでおり、来舶清人が江戸から明治、すなわち近世から近代への転換期に果たした役割をうかがう事例として最適である。現在、所蔵者や東京国立博物館との協議をすすめているところであり、当初計画の「書画の道」の見取り図を提示するとともに、本課題の研究成果のひとつとして提示してゆくこととしたい。
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