研究課題/領域番号 |
18K02163
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分08020:社会福祉学関連
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研究機関 | 聖学院大学 |
研究代表者 |
田澤 薫 聖学院大学, 人文学部, 教授 (70296200)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,600千円 (直接経費: 2,000千円、間接経費: 600千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2021年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2020年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2019年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2018年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
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キーワード | 児童福祉法 / 保育所 / 吉見静江 / 厚生省児童局 / 興望館セツルメント / 保育 / キリスト教保育 / 恩物 / 興望館 / 戦時託児所 / 保育制度 |
研究実績の概要 |
児童福祉法における保育所は、1947年の法成立時より、日中の保育に欠ける乳幼児の保育を保護者に代わってなすことを目的とし、乳幼児の育ちの支援と保護者の就労支援の両方の面をもつ。この制度を具体化する役割を担った初代保育課長の吉見静江は、前職は興望館セツルメント(以下、興望館)館長であり、課長としての言説に興望館での事例の引用がみられる。そこで当該年度は、戦後の保育所確立の原型として、前年度に続き興望館の保育と家族支援の特性を整理した。 まず、前年度に行った興望館の保育日誌の分析を踏まえ、1.個々の幼児理解と個々の発達課題に対する継続的な関心、2.フレーベル理論に基づく幼児教育教材を駆使した幼児教育、を確認した。次いで、1935年以降の児童票から、興望館保育の利用家族について検討した。その結果、3.興望館は貧富差、学歴差、居住環境差、母親の就労の有無等の面で多様な家族が利用しており、必ずしも貧困やハイリスクの子育て家族の支援に限定されていないことが明らかになった。また、保育事業を卒業した子どもたちの受け皿としての「少年・少女クラブ」を検討した。その結果、4.クラブは小学校の放課後に毎日プログラムを提供し、保育児童との関係継続ばかりでなく、クラブの活動を通して新たに興望館とつながる家族もあったことが確認された。最後に、昭和初期の保育水準が児童福祉法成立以降に直結する可否を確認する目的で、興望館セツルメント戦時託児所の保育日誌を検討した。その結果、5.戦中の安全な保育環境が確保されない中では個別理解や発達課題の支援を含む保育内容は見取れないことを確認した。 上記の明らかになった5点について、いずれも1947年時点の児童福祉法成立時の法が描いた保育所保育とは乖離がある。興望館の保育は、児童福祉法の保育所よりも柔軟性の高く今日的課題への対応を含むことが確認された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナ禍の影響を受け、資料館等に出向いての資料探索・閲覧、対面開催の研究会における協議や資料に関わる研究者間での相談等について、常態のような機会がもてず、研究の進展に影響した。 一方で、コロナ禍であっても研究代表者を受け入れ資料閲覧の便を図っていただいたことから興望館セツルメント資料室での資料調査が大いに進展し、本研究課題の進捗状況が「やや遅れている」ことのほか、研究全体の中で興望館セツルメント資料での検討が多少重みを増す結果となった。
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今後の研究の推進方策 |
研究課題の進捗状況の遅れから前年度に果たせなかった研究作業に取り組む。そのうえで、本研究課題のまとめの時期にあたるため、総括し成果報告を行う。 本研究課題では、児童福祉法成立直後から厚生省児童局保育課長を務めた吉見静江の前職が興望館セツルメント館長であったことに着目し、興望館セツルメントにおける保育事業が戦後の日本の保育所保育の確立に影響している仮説のもと、検証を重ねてきた。これまでに、1.吉見静江の実践思想と実践方法論を整理し、2.興望館における吉見の実践を整理した。加えて、コロナ禍による研究作業の変更により興望館セツルメント資料室での調査が厚くなったため、自ずと、3.興望館の地域福祉の実践から吉見が得た価値観や方法論についての検討も行うことができた。 「5.研究実績の概要」で説明したとおり、戦前の興望館の保育事業は、理念および方法論ともに、戦後の児童福祉法成立時の保育所保育の水準よりも高いことが確認された。子どもの主体形成を主眼とするキリスト教保育の影響、アメリカのソーシャルワークの影響が顕著であり、今日の保育課題につながる課題認識を先取りしている面があるともいえる。しかしながら、児童福祉法成立時の保育行政は異なる実態であった。戦後の財政難や社会情勢の制約のもとで、吉見静江は、興望館で発揮した通りの保育と子育て支援の方法論を厚生省の課長としては十全に発揮できなかった可能性があると考える。 上記の研究経過をたどった後に位置づく本年度は、吉見が厚生省児童局に入職し、課長として保育行政に取り組む中での取り組みを、主として公文書と吉見の論考を用いながら検討する。最終的には、本研究課題の成果の全体を見通し、第2次世界大戦後の日本社会における保育所保育の確立に関する成果をまとめたい。
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