研究課題/領域番号 |
20K01082
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03050:考古学関連
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研究機関 | 別府大学 |
研究代表者 |
田中 裕介 別府大学, 文学部, 教授 (30633987)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 1,020千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2020年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 潜伏期のキリシタン墓地 / 浦上経の峰墓地 / 浦上四番崩れの墓地 / 由布市並柳峯先墓地 / 天草市富士尾墓地 / 鹿児島市福昌寺キリシタン墓地 / 潜伏時代のキリシタン墓石 / 墓石の考古学的調査 / マリオ・マレガの調査追跡 / キリシタン墓碑 / 江戸時代禁教期 / 粗製伏碑 / 斗舛墓 / キリシタン墓 / 潜伏時代 / 墓碑の考古学 |
研究開始時の研究の概要 |
江戸時代を特徴づける基本的な政策はいわゆる「鎖国」政策とキリシタン禁制政策である。キリシタン禁制は鎖国の原因となり、幕末に開国政策に転じてもなお続き、日本の近世社会を特徴づける政策であった。その時代の潜伏キリシタンの墓地や墓碑が最近明らかになった。 本研究はこれらの実体を考古学的に研究し、墓碑と墓地の特徴を明らかにし、墓碑の型式学的変遷を分析して墓碑年代決定等の基礎的研究をおこなう。あわせてその実態を同時代の仏教墓碑や唐人墓・オランダ人墓など同時代内外に由来する墓碑と比較研究し、その歴史的性格を明らかにする。
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研究実績の概要 |
最終年度は大分県由布市所在の並柳峯先墓地の悉皆調査を継続して行い、7月に終了した。現地調査はこの墓地のみであるが、10月ごろまでは前年度に現地調査をおこなった鹿児島県鹿児島市所在福昌寺キリシタン墓地、熊本県天草市富士尾墓地の写真データや実測図の整理、一覧表作成を行い、2023年度の後半は調査報告書の作成をおこなった。 全体を通じて実施した研究の成果としてはまず第一に、1610年代から20年代にかけて実質的に進行したキリスト教禁制にによって変容する墓地の調査を、大分県栗ヶ畑亀甲墓地と掻懐墓地と熊本県富士尾墓地で行い、十字架文様や洗礼名の銘が消失しても、1640年代から60年代までキリシタン特有の長方形の伏碑を使い続け、そのご寛文年間には長方形から方形に変容したうえで、元禄年間にはその上に戒名を刻む近世的墓石に変容する流れを後付けることができた。これは1660年代寛文期まで豊後と天草地域ではキリシタンが潜伏できたが、その後切支丹類族改め制度が確立するころにはキリスト教の信仰が途絶えたことを、墓地と墓石の研究から推定できた。これは潜伏キリシタンが明治時代まで存続した西九州とは異なる歴史があったことを示している。 第2に江戸時代を生き抜いた潜伏キリシタンのうち、長崎市の浦上に注目し、その墓地に残る18世紀の墓石調査を浦上経の峰墓地で行い、18世紀の中ごろに戒名を使わない長方形の伏碑を使っていることを考古学の面から確定した。 第3に幕末から明治初期の「浦上四番崩れ」に伴う浦上キリシタンの配流先の墓地である鹿児島市福昌寺墓地を調査し、明治3年と4年の配流中の死者の洗礼名が刻まれた墓碑と、潜伏時代そのままに変容した十字表現を刻んだ「野石墓」からなる墓地であることを明らかにした。
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