研究領域 | 分子夾雑の生命化学 |
研究課題/領域番号 |
17H06353
|
研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
田中 成典 神戸大学, システム情報学研究科, 教授 (10379480)
|
研究期間 (年度) |
2017-06-30 – 2022-03-31
|
キーワード | 分子夾雑 / 第一原理計算 / 生体分子 / 水 / 非平衡熱力学 / 生命の起源 |
研究実績の概要 |
分子夾雑環境下における生命化学の総合的理解に向けて、2019年度は以下の検討を進めた。(1)アルツハイマー病の原因とされるAβ42アミロイド繊維をモデルとして、水中におけるATPによるタンパク質凝集構造溶解の微視的メカニズムの検討を行った。分子動力学(MD)シミュレーションを用いた解析により、ATPはAβ42モノマーの主鎖原子に配位することが確認され、アミロイド線維形成に必要なモノマー同士の主鎖原子を使った水素結合の形成を阻害し熱平衡を解離方向に移動させる要因になると考えられた。一方、Aβ42オリゴマー形成の熱力学的安定性に対してはATPによる有意な効果は見られず、解離過程の活性化障壁はATPによって影響を受けず、ATPには速度論的にオリゴマー解離自体を加速する効果はないことがわかった。以上より、ATPによるAβ42線維溶解は水溶液中のオリゴマー平衡構造の遷移に基づき理解できると結論し、論文で報告した。(2)細胞内の水環境ナノ領域での熱伝導や温度緩和のメカニズムを解明するための分子シミュレーションを行った。半径と温度の異なった2成分剛体球系における温度緩和のMDシミュレーションを実行し、一般化されたボルツマン方程式による解析結果と比較検討した。また、水中に置かれた高温のタンパク質から周囲の溶媒への熱伝導のMDシミュレーションを行い、ナノ領域における熱伝導度・熱コンダクタンスの定量的評価を行った。さらに、水環境下でのナノスケールの量子化熱伝導の理論解析も進めた。(3)マクロな生命現象に近いシステムとして、光合成における励起エネルギー移動ならびに脳内の意識や記憶形成に対する量子モデルの検討も進めている。前者に関しては、FMOタンパク質を例にとって、第一原理的に計算された色素のエネルギー準位ならびに色素間の電子的カップリングに対する計算結果の最適性・妥当性の評価を行った。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記「研究実績の概要」でも述べたように、「水を通して見る生体分子夾雑系の情報熱力学」をテーマとした研究が着実に進行している。研究グループ内の組織的にも、代表者・田中、連携研究者・蛯名に加えて、神戸大学助教・島村孝平(2020年3月より熊本大学に異動)、本プロジェクトの特命講師・栗崎以久男、さらにプロジェクト研究員(梅垣、西山、スタリコフ)が連携研究者として加わり、研究体制が整った。これらの研究チームメンバーが協力して、今後、「水を通して見る生体分子夾雑系の情報熱力学」テーマに関わる理論的手法の整備や計算機シミュレーションの実行を進めるとともに、本科研費新学術領域「分子夾雑の生命化学」の他の研究グループ(公募研究班も含む)と連携して、実験-シミュレーションの共同研究をさらに推進する予定である。実際、甲南大学の杉本グループとの非標準核酸構造に関する研究が進展中であり、また、アミロイド繊維や細胞内相分離の研究に関しても、大阪大学・後藤グループとの連携を視野に入れている。さらに今後、2020年4月に神戸大学講師として着任した森義治も研究プロジェクトに加わり、新規分子シミュレーション手法の開発や、麻酔や翻訳のメカニズム解明に向けた応用研究を開始する予定である。なお、本研究プロジェクトにおいて開発を進めているインシリコ計算手法を新型コロナウイルスに対する治療薬の設計に生かすことも可能であり、社会的要請の喫緊性に鑑みて、適宜応用計算も進めている。
|
今後の研究の推進方策 |
(1) 2019年度から引き続き、Aβ42を主なモデルとして、タンパク質の凝集ならびに溶解メカニズムの解明を進める。ATPなどによるタンパク質溶解の物理化学的な仕組みの解明や、ATPによる溶解作用が確認されているFUSやTAFなどの機能性タンパク質に対する溶解過程の動力学的および熱力学的性質のシミュレーションを行い、凝集・溶解メカニズムの解明を行う予定である。また、通常の全原子MDシミュレーションでは多大な計算コストを要するタンパク質の凝集・解離プロセスを効率よく計算できる手法の開発も並行して行う。そして、同様の問題意識をもった領域内の実験研究者との議論も進め、ATPなどのhydrotropeによるタンパク質凝集体溶解メカニズムの解明を目指すとともに、広く「相分離生物学」の発展に寄与する。(2) 細胞内分子夾雑環境下での温度緩和・熱伝導の分子シミュレーションをさらに進め、タンパク質や核酸分子の関わる化学反応により発生した熱がどのような時間・空間スケールで伝導・緩和するかの統一的・定量的描像を与え、「温度生物学」のより深い理解へとつなげる。また、実際に細胞内の局所温度変化を計測している実験研究者とのコラボレーションも開始する。(3) 今年度以降、生体内分子夾雑環境下における量子効果に着目した研究をさらに推進する。上記(2)においても既に量子化熱伝導の解析を始めているが、それに加え、細胞内あるいは細胞間のnmからμm以上のメゾスケールにおいて、量子コヒーレンスが果たす物理化学・生物学的役割について、第一原理の分子シミュレーションに基づいた理論解析を進める。具体的な対象としては、光合成系や脳神経系を考えており、情報科学の観点から見た生命機能の解明に寄与したいと考えている。
|