研究概要 |
本研究は,Pbなどの重い原子核に深く束縛されたπ中間子原子を従来試みられたことの無い全く新しい手法によって生成し,π中間子との原子核との相互作用に対する新たな知見を得ようとするものである。従来のπ中間子χ線分光では,1s,2pなどの深いレベルにまでπ中間子が到達する以前にπ中間子と原子核との強い相互作用によってπ中間子が吸収されてしまうため,これらのレベルに関する情報を得ることは不可能であった。これを打開するため,以下に示すように,原子核反応によって直接π中間子原子を生成するという新しい実験手法を試み,また,それに関連する理論的研究を行った。 これらの研究に必要な加速器ビームは,国内に存在しないことろから,研究者を派遣して,フランスSaclay研究所でPbを標的とした(d,2p)反応を用いた実験,同じくSaclay研究所でPb(d,^3He)反応を用いた実験,カナダTRIUMF研究所における(n,d)反応による実験,を行ない,ドイツGSI,スイスCERN研究所で,逆反応法など新しい手法の準備を行った。 1.(d,2p)反応による実験 この実験は,Saclay研究所のSPES IVスペクトロメターで実施した。実験以前の理論予測ではこの反応によって数百μbの生成断面積でπ中間子原子が作られるとされていたが,注意深い実験を行ったにもかかわらず,π中間子原子生成の証拠となるピークは見られなかった。 2.(n,d)および(d,^3He)反応の理論 (d,2p)でなぜ予想された断面積でピークが見えないかについて,理論解析を進めた結果,(n,p)や(d,2p)反応で1s状態を作る際の角運動量の不一致が大きいためであることがわかった。この困難は,(n,d)ないしは(d,^3He)反応を用いることで克服できる可能性が高い。これらの反応では,πを作るのに加え,中性子を1個持ち出す。^<208>Pbの核表面から角運動量の大きな中性子が持ち出されることで,π^-が1sに行ける確率が増えるのである。 3.(d,^3He)反応の実験 この理論をうけ,Saclay研究所のSPEAS Iスペクトロメターを用い,^<208>Pb(d,^3He)反応実験を行った。理論予想では,最前方の0°方向の生成断面積が最大となり,実験室系で3°あたりになると,断面積は1桁以上小さくなるとされている。このため,可能な限り前方でのデータを収集することが必須であったが,実験装置上の困難から3°より小さな角度でのデータ収集はできなかった。3°のデータにはπ^-中間子原子生成のピークは見えていない。なお,本実験に先立ち,p(d,^3He)π^0反応のデータを収集し,この反応でのπ^0生成断面積のデータを出した。これ自体,すでに新しいデータであり,現在刊行準備中である。 4.(n,d)反応の実験 これは理論的には(d,^3He)と同様な反応であり,期待が持たれているものである。実験はTRIUMFのMRSスペクトロメターで行った。その結果,π中間子生成の閾付近にエネルギー,断面積ともにπ中間子生成と矛盾しない構造が見えた。しかし,これをπ中間子生成と結論付けるには,統計が不足である。現状の中性子ビームでは,残念ながらこれ以上の統計を達成することは困難である。 5.まとめ この3年間で理論的な理解が進み,π中間子原子生成のために適した反応は,当初考えていた(n,p),(d,2p)などではなく,(n,d),(d,^3He)であることがあきらかとなった。(n,d)の実験で,π中間子原子生成と矛盾しないデータが得られているが,統計が不足であり,また,現状では統計を飛躍的に向上させることは困難でいる。(d,^3He)における,π生成の断面積が初めて測定され,実験装置上の困難をさらに克服して0°でのデータ収集が可能になれば,π中間子原子の深い束縛状態が生成出来ると考えられる。
|