私の研究目的は、フレーゲ算術を端緒として、我々の論理・算術への理解の構造を探ることであったが、今年度の研究は主に、ネオフレーゲアン、ネオロジシストと呼ばれる立場を巡る議論のサーヴェイに充てられた。 ヒュームの原理のような対象の存在を含意する命題を「論理的真理」と見なすことに対する強固な違和感が存在する(ブーロス)一方で、ゲンツェンに由来する手法でヒュームの原理のような存在命題をも論理的真理の範疇に引き入れようとする立場もある(テナント)。今年度は、ヒュームの原理を論理的真理として位置づけようと試みている論者として、テナント、ライトを扱い、彼らに批判的な立場に立つ論者としてラムフィット、マクブライド、ダメット、ブーロスらを考慮に入れた。そのうえで、双方の立場に対する批判的な吟味から、ヒュームの原理を「論理的真理」とみなすさいのいくつかの困難が確認された。 その困難とは次のようなものである。(1)テナント流の手法で原子的な算術的語彙を論理的語彙として組み入れようとしても、算術的語彙と論理的語彙の間には明確な非対称性が残る。その非対称性とは、算術的語彙の指示の不確定性である。(2)論理主義に対する批判者たちは、シーザー問題、バッドカンパニーオブジェクション、等の論拠をもとに、ヒュームの原理は論理的真理ではない、と結論づけており、ライトはこれにたいして「再概念化」などの概念装置を用いて再批判を試みている。しかし、ライトが再批判を行う際に導入されている概念装置が、どのような根拠のもとで正当化されるかは不明である。 以上の結論が、今年度の研究で得られた知見である。
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