研究概要 |
本年度は、明治新政府の「府県施政順序」(明治2年2月)の中での「小学校ヲ設ル事」による小学校設立の奨励によって、松江藩ではどのような対応(小学校設立等に関する)があったのか、主として既存の前近代的諸学校との関わりで考察をすすめた。新史料『儒学校日記』によれば、藩校修道館助教の河合謹蔵らの議事院建言によって郷校設置計画が進行中であったことを知ることができる。もっとも、「小学校ヲ設ル事」の奨励と郷校設置計画とが、具体的にはどのような関連をもっているかは現段階の史料等では明確に出来なかった。また、新史料『公私要記十四』によれば、明治4年3月郷校設立のため南学大教授桃節山らが巡郷を行っており、今回の現地調査によって、その巡行行程とその実状について、ある程度明らかにすることができた。さらにこの時期、教導所学則の制定によって各郡に設立される郷校は郡内の諸教導所(寺子屋、私塾)を統率する頭取の教導所として位置づけ、しかもこの郷校は直接には藩校修道館の管理下におくという、いわば修道館→郷校→教導所という1つの組織形態がつくられていったことも大きな発見であった。 ともあれ、新史料やこれまでの数度にわたる現地調査により、郷校、教導所(寺子屋,私塾)等に関するこれまでの先行的研究で不十分な部分を一部分ではあるが解明・補完できたことは1つの成果であった。しかし、学制公布前の郷校および教導所の設置計画が、全体的にはどのように進展していったかについては、いまだ不十分な点もあり、よって本研究(課題)テ-マの全容を明らかにするまでには至っていない。次年度は、この点をふまえ、かつ現地調査を重視して本研究テ-マの、より一層の解明に全力を尽したいと思っている。
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