荘園制支配の諸段階は、その土地台帳たる検注帳にもとづいて考察すると、次のようになる。第1段階は12世紀後半であるが、荘園の検注帳の作成が最盛期となる。この検注帳は、国衛から継承した台帳をもととしながら、荘園の錯綜関係や私領を整理して、荘園という新しい領有単位を設定する。従ってこの検注は国家的なものであり、中央政府発給文書にもとづき、官使が国使・荘官を動員して遂行される。荘園の百姓のなかでは名主が自ら所有するところの田・畠を整理されつつも公認され、以後の名田知行の基本台帳(名坪付帳)を所有することとなる。第2段階は13世紀末から14世紀初頭、荘園の得宗領化が全国的に進むなかで、得宗家検注が実施され、その帳面が作成される。この検注は、公田のなかに新田が設定され、そこには地頭年貢が賦課されるようになるが、それとともに畠・山畠・山にも検注が及び、年貢が課されるようになることが、若狭国太良荘・西津荘などで見られる。この背景には、山畠などの個別所有の確認を求める名主層の要求があり、検注でも名主・百姓の慣習的利益は保護される。第3段階は1400年前後の時期であるが、この段階での荘園支配の日常的台帳は散用状であり、年貢収取状況だけを記録する帳面であり、下地知行は村落の各主層に委ねられている。だが播磨国大部荘や高野山膝下花園のように、この段階での田・畠の耕地片の移動状況を把握しなおす検注を実施する例もある。この検注は詳細に土地移動を把握しようとするものであり、後の大名領検地の前提となるものと考えられる。
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