研究課題に関する図書文献の購入、マイクロフィルムの現像、各大学図書館における資料収集、これらの文献の検討と整理、諸研究会における発表と討論等により、以下のような研究上の新知見を得た。1.17世紀後葉に成立したシレシウスの詩集『ケルビムの遍歴者』は、中世後期の神秘思想家エックハルトやタウラーにおける無の思弁的神秘思想を簡潔な詩的形象に結晶させた側面を持つ。2.彼の詩の成立には、彼自身の神秘体験の他に、ベーメの弟子フランケンベルクがシレジア地方に形成した神秘思想サークルが果たした役割を看過することはできない。3.ベーメの神秘思想はカバラ・ヘルメス学的宇宙観による無の追求に徹した点エックハルトと袂を分かつが、シレシウスの同詩集の思想的基幹は、無の砂漠ないし放下した魂の中における神の子の誕生にあり、反カバラ・ヘルメス学的自然観の立場である。4.神の開示の場を人間の魂に限定し、自然万象の中における神の意志の顕現を等閑視する傾向は、すでにフランケンベルクに明瞭に見られる。これはパラケルススによって確立された「自然の光」による神探求の道を捨て、「恩寵の光」による神との合一を神秘思想唯一の道となす思想的転換を示している。5.したがって、自然の形象は神を賛美する記号としての位置のみを占めることになり、シレシウスの詩作品はその限りでの象徴性を獲得している。6.エックハルトやシレシウスの語った無は、魂という内面世界に開けてくる。一方、北宋の山水画や道元の山水経が描いた無の光景は、神性の砂漠という点ではシレシウス等と共通するが、あくまでも外面世界に措定される聖なる空間であるという点では大きく相違するものである。7.シレシウスのほぼ二世代後に現れる、ヨーロッパを脱出して新大陸の荒野で苦行を修したバイセルやケルピウスらの運動は、内面世界と外面世界の一致を求める新たなベーメ的神智学運動と位置づけられる。
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